可能の世界と不可能の世界の間で——アヴィニョン演劇祭、ティアゴ・ロドリゲス作・演出『不可能の限りにおいて』(Dans la mesure de l’impossible)/藤井慎太郎
本作は、6月初旬にクリスティアン・ルパ演出『移住者』(Les Émigrants)の公演キャンセルが突然にアナウンスされたことを受けて、初日の1ヶ月前に急遽、プログラムに加えられた作品である。アヴィニョン演劇祭ディレクターに就任したばかりのティアゴ・ロドリゲスの作・演出によって、コメディ・ドゥ・ジュネーヴが制作し、2022年2月に初演を迎えた作品である(『移住者』もまた、同劇場が制作費の大半を負担し、稽古を経て、アヴィニョンの前にジュネーヴで初演を迎えるはずであったが、主に劇場技術スタッフとの対立から、ルパの作業哲学と劇場の倫理規定が合致しないとして、初日を目前にして中止が発表された)。同じジュネーヴに本部を置く国際赤十字社と国境なき医師団の一員として人道支援に従事する人々(les humanitaires)に取材してつくられた、ありえないほどに過酷で壮絶な内容を含む作品である。同時に、サラザールによる独裁に抗ったジャーナリストの父と、医師の母のもとに生まれたロドリゲスならではの作品でもある。
タイトルは、「可能な限り」「可能な範囲で」を意味する 《 dans la mesure du possible 》というフランス語でよく用いられる表現をずらしたものである。4人の俳優(2人は初演時から入れ替わっている)と1人のパーカッショニストのみが登場する、2時間足らずの作品であって、決して大がかりな作品ではない。だが、そうした舞台裏の不安や混乱を微塵も感じさせずに、世界の苦しみと演劇のよろこびを両立させる珠玉の作品、この不運を奇跡にも近い幸運に転じさせる作品であった。舞台上で語られる世界の苦しみと演劇のよろこびがいかにして両立しえたのか。それがこの作品の成功を理解する上での鍵となる。
目を見張らせるほどの力量を備えた俳優4人が、演劇のよろこびの大きな理由であるのは間違いない。2名の男優(バティスト・クーストノーブル、アダマ・ディオップ)はフランス語のみを話すが、スイスとアメリカの国籍を持つ女優(イザベル・カイヤ)とポルトガル人女優(ベアトリス・ブラス)は英語とフランス語を操り、後者はさらにポルトガル語の哀歌をアカペラで終盤に歌い上げる。ディオップとブラスがとりわけ素晴らしい存在感を見せる。「業界」の関係者が観客の相当部分を占めるアヴィニョン演劇祭は、出演者にとっても多大な緊張を強いられる場だというが、そんなプレッシャーもまったく感じさせない。観客席から聞こえる物音(私が見た日でいえば、携帯が鳴る音や何かを落とした大きな物音)にも反応して、微笑みながら観客に語りかける余裕を見せる。だが、この4人も決して「登場人物」を演じるわけではない。多くの凄惨な出来事は言葉によって語られるのみで、舞台上で映像や俳優の身振りによって再現されることはない。演技のほとんどは観客を向いて観客に語りかけるかたちでなされる。ガブリエル・フェランディニが節目節目に響かせるパーカッションが、メロディを伴うことなく、これも控えめに、だが力強く情感を伝える。
もちろん、抜群に優れた劇作家でもあるロドリゲスによる言葉の力もまた、重要な役割を果たす1)Tiago Rodrigues, Dans la mesure de l’impossible, Les Solitaires intempestifs, 2022. フランス語に訳されたロドリゲスのほかの戯曲も同社から出版されている。。この作品は、赤十字社と国境なき医師団の人道支援者からの証言を集めて演劇化したものであって、一種のドキュメンタリー演劇として位置づけられる。自分の命を危険にさらしながら重要な仕事に従事しているにもかかわらず、なかなか注目を集めることがなく、可視化されない存在である人道支援従事者に声を与えるという意味では、ドキュメンタリー演劇の王道に沿った作品でもある。
ただし、固有名は伏せられ、いつ、誰が、誰と、どこで経験したことなのか、具体的に明かされることはない。戯曲において登場人物の名が記されるべき場所には、初演時の俳優のファーストネーム——ナターシャ、アドリアン、バティスト、ベアトリス——が記されている。彼らが発する言葉はもっぱらモノローグであり、4人の間で対話らしい対話が交わされることもない。人道支援を支えるチームワークではなく、人道支援従事者の孤独がむしろ強調される。台詞は、これまた匿名であるばかりか、劇中で言葉を発することもない不在の聞き手——ティアゴ・ロドリゲス——に応答して、語りかける体裁をとっている。
具体的な場所の名前も一切示されない。ロドリゲスはそれを「不可能の領域」(l’impossible)と「可能の領域」(le possible)という言葉の対で置き換えた。このわずかに詩的な言い換えが、本作の成功の決め手であったように思われる。ドキュメンタリー演劇における証言の編集には作家が行使する暴力性がつねに潜む。控えめでありながら重要なこの言い換えによって、何が可能で何が不可能なのか、何が両者を隔てているのか、想像することを可能にする詩の領域が拓かれ、その暴力性が和らげられるからだ。
先進国に生きる私たちには想像もつかないような、常識がもはや通用しない世界と私たちが生きている世界。不可能の領域では起こり得ないことが起こり、ありえない悲惨が生じる。「可能の領域」であれば救える命が「不可能の領域」では救うことができない。世界を変えたいとの思いから紛争地域に身を投じたはずなのに、世界を変えることもままならない。無力感と幻滅から職を離れる者もいる。命を落とす者さえいる。
自分たちよりも自分たちが助けようとしている人々のことを取り上げるべきだと、人道支援従事者に代わって俳優が述べる。だが、「不可能の領域」に入り込むという「不可能」に挑んで——あるいは文化の盗用の危険を冒して——、人道支援を求める人々の苦しみと絶望を語るのではなく、両者の世界を行き来し、可能の領域と不可能の領域の間で引き裂かれる支援従事者たちの苦しみと悲しみに焦点を合わせたことが、本作の力の源泉となったように思われる。
セノグラフィもまた、大がかりで洗練されていると同時に、控えめでもある。開演時には巨大な白い布が床を覆い、ワイヤーで吊られた部分が山のようになり、人道支援者が活動に従事する山岳地帯を表すようである。徐々に、俳優がワイヤーを操作して、布は引き上げられ、パーカッショニストの姿が露わになり、最後には舞台の天井を覆うまでに吊り上げられていく。
これは最後の場面に出てくるテントに呼応している。この場面のみ、4人の俳優が、コロスのように集合的に、一文ごとに代わる代わる言葉のバトンを渡していく。雷鳴がとどろく嵐の中、死に瀕した子どもの命を救おうとして、テントが吹き飛ばされないようにみんなが全力で支えて守ろうとする。だが、懸命の努力も実らず、子どもは咳き込んでは血を吐き、母親の表情から、息絶えたことが知られたことが語られる。その血で人道支援従事者女性のシャツが汚されたのを見て、母親はわが子をくるんでいた布でシャツの血を拭おうとする。子どもを失ったばかりの母親が他者を気遣うこの身振り、「これこそが不可能なものだ」という言葉によって、作品は締め括られる。その悲痛さをそのまま表現するようなパーカッションが鳴り響く中、ゆっくりと一人ずつ俳優は退場していき、やがて暗転とともに作品は終わる。
世界の苦しみと演劇のよろこびが両立しうる稀有な瞬間がそこに存在していた。もちろん、私たちが生きる世界が果たして本当に「可能の領域」と呼ぶに値するのかどうか、問うこともできるだろう(日本においても、たとえば大震災やコロナ禍において、そうした不可能の領域——ラカンのいう「現実界」と言い換えてもよい——は、可能の世界にたびたび侵入してくる)。だが少なくとも、このような演劇の瞬間が成立しうるという意味において、私たちがまだ「可能の領域」にいることは間違いない。万雷の拍手とオヴェーションの中で、ほかの作品の記憶が吹き飛ぶほどの至福を感じながら、不可能の世界と人道支援従事者の苦しみ、そして作品の記憶が薄れていくことの悲しみを噛みしめた。
7月19日16時開演、大アヴィニョン・オペラ座(Opéra de Grand Avignon)
この後、エディンバラ・フェスティヴァル、ついでフランス各都市、さらにリスボンを巡演
ロドリゲスのディレクションのもと、最初となるアヴィニョン演劇祭は、良作に恵まれているのだが、演劇祭全体の評価については稿を改めることにしたい。
註
1. | ↑ | Tiago Rodrigues, Dans la mesure de l’impossible, Les Solitaires intempestifs, 2022. フランス語に訳されたロドリゲスのほかの戯曲も同社から出版されている。 |