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『アルトゥロ・ウィの興隆』 撮影=細野晋司

▼神奈川芸術劇場とブレヒト作品

嶋田 今のお話に出てきた白井晃演出『マハゴニー市の興亡』は2016年に神奈川芸術劇場で上演されました。この年の4月から白井晃は神奈川芸術劇場の芸術監督に就任しています。その後、同じく神奈川芸術劇場で谷賢一演出『三文オペラ』(2018)、まつもと市民芸術館との共同プロデュースで串田和美演出『マン・イスト・マン』(2019)、そして今回の『アルトゥロ・ウィの興隆』というようにブレヒト・シリーズとも言える上演が続いています。

柴田 『マハゴニー市の興亡』は見ました。とても印象に残る面白い舞台で、ショー仕立ての場面がどんどん展開していき、それがある種輪舞になるような形で、会場の規模感ととても合っていました。Ruuさんのダンスも非常に効果的に使われていて、新しい『マハゴニー市の興亡』として楽しく見ました。

嶋田 串田和美演出『マン・イスト・マン』は実際にテーブルでご飯を食べながら鑑賞する席もありました。かなりユニークな試みでした。この5年でブレヒト4作品の上演というように、神奈川芸術劇場はブレヒトの上演に非常に力を傾けているように思えます。

新野 白井晃さんがブレヒトに大きな思い入れを持っていることが、観客のわれわれにも伝わってきます。先ほども話に出た谷賢一さん演出の『三文オペラ』では、最後のデモのシーンで観客自身が抗議のプラカードを持って舞台に上がるという趣向もありました。現在の大衆社会が貧富の格差を生み出している現実を舞台の上で表現する良い工夫だったと思います。串田和美さん演出の『マン・イスト・マン』は、客席前方がレストランになっている。上演中も食事をしながら観劇する舞台では、一人の人間が戦争機械になっていく過程が戯画的に演じられます。社会の中で戦争が準備されても、私たちは他人ごととしてしか受け取れないことがわかります。ブレヒトを取り上げる方針を、これからも続けていただければいいなと思います。

▼ベルリナー・アンサンブル公演

嶋田 先ほども少しお話に出ましたが、新国立劇場主催のベルリナー・アンサンブル公演『アルトゥロ・ウィの興隆』(2005)についてお話し下さい。

柴田 私どもの世代でいうと、「ウィ」といえば「マルティン・ヴトケ」というぐらい、ハイナー・ミュラーが演出したベルリナー・アンサンブルでのイメージがものすごく強いです。一番底辺の犬のような状態のウィが、最後はシェークスピアの役者に倣って背筋を伸ばして堂々と大衆を支配していくヒトラーとなる様が、ドイツ語で話されるにもかかわらず、それが視覚的にも体感的にも分かるような舞台です。ウィという人間の表情や雰囲気の変化を、ヴトケは体だけでどんどん変えていく俳優の技量をまざまざと見せつけ、彼のための作品なのではないかと思わせるほどです。でも、逆にあまりにもその印象が強いので、違うバージョンというのがなかなか想像できない。各場面にヴトケが演じるウィがおのずとかぶって見えてしまうぐらいに印象が強いです。
 今回の神奈川芸術劇場の試みは、このヴトケ=ウィのイメージを打ち壊すものでした。こうした実験は必要だと思います。

新野 ベルリナー・アンサンブルが新国立劇場で上演した公演は、ドイツの森のシーンから始まりました。シューベルトの『魔王』が流れ、ドイツの暗い森が暗示されたのです。すると舞台奥から一匹の犬が現れる。それがマルティン・ヴトケでした。彼は犬のように四つん這いで登場しました。この犬が人間になって、小心者のヤクザから成り上がり、独裁者になっていくという風に、ドイツが生み出した独裁者ヒトラーを舞台の上で表現しようという明確な意図がありました。その意図自体が観客の批評的な感覚を刺激した。あれを1回見てしまうと、なかなか他のアルトゥロ・ウィに感服できない、ということは確かにあります。

▼神奈川芸術劇場におけるその他の白井晃演出作品

嶋田 白井晃は今回のブレヒト作品以外にも、フランク・ヴェデキント『春のめざめ』(2017、2019)、ジャン・コクトー(ノゾエ征爾台本)『恐るべき子供たち』(2019)といった作品を神奈川芸術劇場で発表しています。この2作品は今回上演されたホールではなく、大スタジオでの上演ですね。『春のめざめ』では思春期における性欲のありかたが、アクリル板に囲まれた密室の中で見事に描かれていました。『恐るべき子供たち』では白い大きな布を上手に使い、姉弟の間で交わされる繊細な感情を表現していました。いずれの作品も若手の俳優を起用し、不器用にしか生きることができない思春期独特の時間、そして「性」と「生」をめぐる煩悶と倦怠感がにじみ出ていたように思います。最近の白井晃の演出作品はこのような〈個〉が抱える悩みから、今回の『アルトゥロ・ウィの興隆』で表現されたナショナリズムと国家というような〈全〉が抱え持つ問題まで、非常に大きな振り幅を持つ点が大きな魅力です。
 最後に最近の印象的な白井晃演出作品をお話し下さい。

新野 僕はエンダ・ウォルシュ作『バリーターク』(2018)が印象に残っています。世田谷のシアタートラムで観ました。今回も出演している草彅剛さん、松尾論さん、小林勝也さんの3人の舞台でした。現実と非現実の境があやふやな原作の難しさが丁寧に造形されていました。原作はきわめて分かりにくい。その分かりにくさを単純化せずに分かりにくいまま舞台化して、なおかつ観客を惹きつける演劇性がありました。2018年度の第11回小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞しましたね。上演後、独自の世界を体験したという実感がありました。

柴田 私はサルトル『出口なし』(2019)ですね。上質でお洒落な演劇作品として記憶に残っています。舞台美術や照明が作り出す動きのある空間に、洗練されたダンス的身振りが効果的に用いられていました。首藤康之さん、中村恩恵さん、秋山菜津子さんの3人のそれぞれの存在感が拮抗し、サルトルの描く難解で不条理な「地獄」を眩惑的に美しく描き出していました。

嶋田 今回の『アルトゥロ・ウィの興隆』への劇評からはじまり、神奈川芸術劇場の試み、その他の白井晃演出作品までお話が広がりました。今後も刺激的なブレヒト作品の上演を期待したいと思います。ありがとうございました。

(2020年3月7日@明治大学和泉校舎研究棟共同研究室1)