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『アルトゥロ・ウィの興隆』 撮影=細野晋司

▼音楽とダンス

新野 それから、今回の公演はドラマの場面が非常に少ない。ブレヒトの原作は対話劇です。アルトゥロ・ウィが小悪人から独裁者になっていく過程がドラマとしてしっかり描かれている。しかし今回の上演ではこのようなドラマ的な部分が少なかった印象がありました。

嶋田 確かにそうかも知れません。会話によるドラマというより、最初に話題にしたように、エンタメ的な要素が非常に強い感じはあったと思います。このようにドラマをそぎ落として、何を強調したのかというと音楽だったんじゃないかと私は思っています。オーサカ=モノレールの演奏は、ファンクでソウルフルなジームス・ブラウンを楽曲に用いて、これはすごく効果的だったと私は思っています。オーサカ=モノレールの演奏は、ほめ言葉として、かなりぶっきらぼうなファンク・ミュージックだった印象があります。そのぶっきらぼうさと、『アルトゥロ・ウィの興隆』そのものがうちに秘めている荒々しい感じが、とてもバランスよく調和していたと感じました。
 劇中の音楽に関しての印象をお願いします。

柴田 ブレヒト・ソングというのがもともとブレヒトの舞台にはあって、歌詞もとても批評性に富んだものです。それに対して今回のジェームス・ブラウンの楽曲の生演奏は、ギャングが出てくる舞台の時代設定にあう雰囲気があると思いました。赤い色の衣装を着たダンサーの踊りも見応えがありました。
 ただ、有名なクルト・ヴァイルが音楽をつけた『三文オペラ』や『マナゴニー市の興亡』での音楽と歌詞のせめぎ合いを思うと、この雰囲気は流されるために使っているのだろうかとか、いろいろ考えてしまいました。音楽は素敵でしたし、パフォーマンスも格好良かったです。生演奏というのはものすごく強いので、実は歌詞は何を言っているかがほとんどわからなかったのですが、わからなくてもいいと思わせるくらいのパッションはあったと思います。

嶋田 確かに一般的なブレヒトの上演で演奏される音楽とは、かなりイメージが異なりましたね。その辺り、新野さん、いかがでしょうかね。

新野 今、歌詞のもたらす異化効果の話が出ましたが、僕には歌詞が全然聞き取れませんでした。ジェームス・ブラウンは好きで、トランプを生んだアメリカ社会を風刺しているのかもしれませんが、ブレヒトの原作との相乗効果というのは、あまりよく分からない感じでしたね。ブレヒト自身は戦前のアメリカのギャング映画が好きだったので、それとの関連でジェームス・ブラウンが使われているようにも思えば思えるんですが、大きなクエスチョンマークとともに聞いていました。

嶋田 お二人とも今回の公演については結構辛口の評価ですね。

柴田 すごく楽しかったのは事実なんですよ。パーツはすごくいいんです。ダンサーも上手だし、草彅さんが演じるアルトゥロ・ウィは、ハイナー・ミュラー演出で有名なマルティン・ヴトケのイメージとは全然違う、ヒトラーのものまねにならない、新しいウィ像が出ている。それはかなり画期的なことです。音楽もとても雰囲気があって、楽しく効果的に使われているし、戯曲テクストもきちんと進行を押さえて、丁寧にまとめられていると思います。ただし、それが合わさったときに、どこにフォーカスしていいのか分からない戸惑いがありました。

新野 俳優としての草彅さんは演技力が非常に豊かです。舞台経験も豊富で、素晴らしい舞台をいくつも拝見したことがあります。ですので、ミュージカル仕立てにしないで、そのままやればいいんじゃないか、というのが正直なところです。草彅さんのファンの皆さんも草彅さんの演技力をよくご存じですから、原作をそのままやって、草彅さんが独裁者になっていく男を演じたとしても十分成立したと思います。今回の演出では新機軸を立てて、現代の大衆社会が音楽やイメージによって操作されていることを、大衆社会の申し子であるミュージカルで表現しようとしたと思うんですが、大衆社会の危険性を大衆社会の内側から描くことに成功したとは思えなかった。「辛口の」というふうに嶋田さんはおっしゃいましたが、正直言って、なるほどと合点のいく舞台ではありませんでした。
 柴田さんからパーツはすごくよかったという話が出ましたので、とても印象に残ったダンスの話をします。ダンサーのRuuさんが振付を担当し、出演もしています。セクシュアリティーを強調する素晴らしいダンスです。同じブレヒト原作で白井晃演出の神奈川芸術劇場主催公演『マハゴニー市の興亡』(2016)のときにも、彼女が振付を担当していました。『マハゴニー市の興亡』は世界恐慌直後の1930年にドイツで初演された作品で、資本主義がいかに男性中心的に資本を回し、セクシャリティを媒介にして社会を没落させるかをアメリカを舞台に描いています。ですのでRuuさんの振付が非常に決まっていて、上演の質を高めたと思います。原作の資本主義批判の本質を突いていたんですね。
 今回の『アルトゥロ・ウィ』は、社会全体が資本主義によって没落していく話というよりも、政治家や資本家のいがみあいや経済恐慌のために機能不全にいたった社会の混乱に乗じて、独裁者が国を乗っ取る話ですね。とくにヒトラーはアメリカ型の資本主義を堕落ととらえ、これに対抗すべくドイツ型の国家社会主義を世界に流布させようとしました。つまりヒトラー自身がアメリカ型資本主義を批判していたのです。さらにブレヒトはヒトラーの台頭で亡命を余儀なくされています。そのブレヒトが書いた『アルトゥロ・ウィ』は、アメリカ批判に収まる作品ではないと思います。そのため、せっかくのダンスも原作との緊密な連関にいたらない。そこが今回、この舞台が個人的にあまりうまくいっていないと思ったところです。