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「廃屋のホテルのリハーサル」――チューン版の「夢幻能」――

 戦前に書かれた物語に「ベルリンの壁」を持ち出すのは、時代錯誤であろうか。しかし、それをいうならば、「グランドホテル」そのものが、既に第二次大戦の戦禍で失われてしまっている。ミュージカル『グランドホテル』は、そうした個々の年譜を超えて、「時の流れ」そのものを主題にしている。
 その主題が舞台上で具体的にどのように結晶していくか。ブロードウェーを打ち上げたカンパニーが1991年から92年にかけて来日公演(新橋演舞場・南座・名鉄ホール)を行った時、演出家・青井陽治が公演プログラムで書き記している。彼はその歴史的な11月にちょうどアメリカ滞在中だったので、稽古場へ招かれた。尋ねて行くと、それは営業をやめた廃屋のホテルである。ロビーから階段を上がった2階のボールルームでリハーサルが行われていた。遠来の友人を迎えてトミー・チューンはこう打ち明けたという。

 ここを稽古場に決めた時、全部見えてきた。

  その言葉のとおり、稽古場の雰囲気が2週間後、アメリカ滞在最後の夜にガーシュィン劇場で見た舞台に、そっくり再現されていた。がらんとした空間にシャンデリアと柱だけで構成された一杯飾りのセットが、廃屋のホテルそのままである。
 場面はロビー、客室、バーなどと転換していくが、それら全てが能の舞台のようにただひとつの空間の中で進んでいく。ホテルの玄関の回転ドアは、能の作り物さながら舞台後方に持ち出され、人々が隅のほうから運び出す赤いベルベットを張った小振りの椅子は、稽古場に積み上げられていたのと同じ物だった。トニー・ウォルトンのセット(オリジナル・セット模型の画像はここ。拡大すると、別の角度の画像に切り換わる)は2層を形作り、ホテルで言えばボールルームに当たる2階の部分にオーケストラが入って、その時代の音楽を演奏し始める。これを見た青井は、こう記している。

 美しい、美しい舞台だった。ビームを強く出し、逆光を多用する最新の照明に馴れた目には、ほの暗い、微妙な色合いがたまらなくきれいに見えた。人々はまるで、そこにいないかのように、幻のように見えている。そう。幻なのだ。(来日公演プログラム)

  物語の展開とは関係なく、盲目の伯爵夫人とジゴロのペアが流れるようなフォックストロットを踊りながら通り過ぎて行く。それはたぶん中世の「死の舞踏」(フランス語でダンス・マカーブル。ドイツ語でトーテンタンツ)をもじっている。彼らはこのボールルームに棲みつき、時を超えて踊り続けている。これはまるで夢幻能である。
 ワキよろしく、登場人物である「ドクター」が序幕に登場して、こう観客に語りかける。

  ベルリンのグランドホテル。相変わらずです。人びとはやってきては、去って行く。ごらんなさい——最高の暮らしをしている人たち! だが時間は残り少ないのです。(小田島雄志訳)

  彼の語りにつれて目の前にシテの宿泊客たちが登場してくる。夢幻能のワキに旅僧が多いのは、戦乱の世の合戦に従軍して、戦死者を弔った遊行僧の存在、あるいは広く各地を経巡った勧進聖たちの存在が考えられている。彼らは死者に近いところにいる。『グランドホテル』のドクターも同じような性格を持っている。第一次大戦中のドイツ軍の軍医で、焼夷弾に被弾したが、九死に一生を得て復員した。戦場で多くの戦死者の最期を看取ってきた人である。宿泊客たちは彼に呼び出されて、あたかも冥界から回転ドアを通って登場して来るかに見える。シテたちは生きている間に果たせなかった思いを背負っている。
 原作小説は、全ての人物を神の視点から語る現在進行形で書かれている。トミー・チューンの舞台は、失われた時の中に建つホテルのありさまを、登場人物の1人ドクター・オッテンシュラックが観客に語りかける形を採用した。ワキのドクターは現在の時間を生き、他の人々はあたかも過去の幻になる。日本に古くから伝わる夢幻能という形式が、文化の違いを超えて、人間の想像力のひとつのパターンを捉えている。

 

 夢を見る者の資格――火口の淵で踊るように夢を見る人物達――

 トミー・チューンは月組初演のプログラムでこう語っている。

 大恐慌直前のベルリンでは世界が火山の火口の淵で踊っているようなもので、『持つ者』と『持たざる者』の差は広がる一方でした。私達は逃げるように走る列車に乗り、速度を上げながら運命に向かって帰らざる旅に出ているのです。——しかしグランドホテルでは絶え間なく音楽が流れ、あなたの予約を待っているのです。

宝塚歌劇団月組『グランドホテル』 珠城りょう(中央) ⓒ宝塚歌劇団 禁転載

  たしかに『グランドホテル』の登場人物達は、主要人物たちに限らず、火口の淵で踊る踊り手である。宝塚歌劇月組の舞台では、オットー・クリンゲラインがバーで酔い、チャールストンを踊る場面が、ことに鮮やかだった。クリンゲライン以外の出演者は、宿泊客やホテルのスタッフ、下働きに至るまで、みな無名の群集になり、オットーの背後で整然とフォックストロットを踊り始める。70人を超える男女が幾列かの横並びになり、銘々腕を上げてホールドの姿勢を保ち、それでいてペアを組むのではなく、しかも全員後ろ向きで背中を見せ、音楽が終わっても靴音だけが規則正しく、あるいは不気味に響いてくる。なぜ後ろ向きなのか。それは過去の人々だからに違いない。しかし彼らが火山の火口の淵に並んでいるのならば、淵の向こうから見ると正面向きになる。時間は淵を回って円環している。昔の時間は今によみがえる。気がつくと彼らは目の前にいる。
 登場人物達はみな、火口の淵で踊りながら、夢を見つづけている者ばかりだ。ロシアの伝説的バレリーナ、エリザベータ・グルーシンスカヤ。彼女は盛りを過ぎて踊る情熱を失いかけていた。フェリックス・フォン・ガイゲルン男爵。彼は若く快活な貴族だが、大きな借金を負って、ホテル荒らしをしている。戦場でニヒリズムに心をむしばまれていた。2人の間に恋が生まれ、バレリーナは踊る意欲を取り戻し、男爵は未来に希望を見出す。しかしそれは束の間の灯火に過ぎず、男爵は借金を返済するために実業家ヘルマン・プライジングの財布を狙って、その部屋に忍び込み、命を落とす。

宝塚歌劇団月組『グランドホテル』 珠城りょう ⓒ宝塚歌劇団 禁転載

 以前プライジングの会社の簿記係だったユダヤ人オットー・クリンゲライン。彼は不治の病に侵され、人生の最後を華やかにするために、全財産を現金に換え、グランドホテルの客になっていた。プライジングは傲慢きわまりない態度を取っているが、事業に行き詰まって内心の焦りは大きい。うさ晴らしのために、若い女性速記者フラムシェンに愛人の役までを迫る。彼女は男爵に好意を寄せていたが、この恋はかなわず、多額の金と引き換えにプライジングの求めに応じようとしていた。そこへ男爵が忍び込み、プライジングに見つかって、揉みあううちに殺されてしまう。
 落ち目のバレリーナと多額な借金を負う男爵とは、第一次世界大戦後のフランスとドイツの寓意ではないかと思う。フランスは勝利したものの、ドイツ軍の侵攻により、領土北東部の鉱業地帯が戦場になって疲弊し、ドイツは敗北して多額の賠償金に喘いでいた。だが敵味方に分かれて戦った両国が、両大戦間に同じ夢を見て(たちまち破局にいたる)という設定がいったい可能なのか。1925年にドイツ・イギリス・フランス・イタリー・ベルギーの5カ国による独仏国境の現状維持、ラインラント軍備禁止を保証するロカルノ条約が成立した時、さらに翌年ドイツが国際連盟への加入を果たし、1928年に世界15カ国によってパリ協約(いわゆる不戦条約)が調印された時、それは可能に思われた。『グランドホテル』の時間設定はまさにこの年1928年である。
 しかし1929年10月のニューヨーク株式市場の大暴落に端を発する世界恐慌はドイツを直撃し、1930年9月の議会選挙においてナチスが飛躍的進出をとげ、3年後には政権を握る。アメリカに生まれた衝撃がヨーロッパのポピュリズムを勢いづかせる図式は、現代のドナルド・トランプ現象を彷彿させずにはおかない。まことに「時間は残りすくないのです」。
 序幕から2泊3日後の朝が明けた時、男爵の遺体はひっそりと霊柩車で運び去られ、プライジングは警察に連行される。グルーシンスカヤは、次の公演地ウィーンへ向かって出発する。永年彼女を密かに愛し支えてきたオールドミスのラファエラ・オッタニオに付き添われて。オットー・クリンンゲラインはフラムシェンを口説き、取り残された者同士、手を取り合ってパリへ向かう。終幕部分において、ホテルのフロント・マネージャー、エリックに電話で告げられる男子出生のしらせは、かくも色濃く死に彩られた光景における対照的な「生」の一点となっている。