宝塚の男役が今の日本を語っている。「逆刃刀(さかばとう)は不殺の誓い」--宝塚歌劇雪組『るろうに剣心」』/天野道映
宝塚の男役は観客の眼ざしの中に生まれる(観客は女性が多い)。観客の眼ざしは時代と共に変化する。その変化は男役に投影され、男役は時代の姿を映し出す鏡になる。すなわちほかならぬ今の日本のこの姿を。今年2016年2-3月の宝塚大劇場で上演され、4-5月の東京宝塚劇場に引き継がれた宝塚歌劇雪組『るろうに剣心』が、そのことを余すところなく語っている。時代のテーマは不殺の誓いである。
洛西嵯峨野のあたり、大橋泰弘装置の鬱蒼たる竹薮の前で、長州藩士山県狂介(夏美よう)、井上聞多(美城れん)、桂小五郎(蓮城まこと)が新撰組に襲われる。薮の陰から一人の剣客(早霧せいな)が現われ、「長州派維新志士、緋村抜刀斎」と名乗り、10人の新撰組隊士を相手に斬り結ぶ。髷は結わず、茶髪のポニーテールで、紺の着付け。藍鼠の袴。腰に巻いて前で短めに結んだ墨色の腹帯の先が腿の左右で揺れている。
鮮やかな太刀さばきである。殺陣(森大)は尺八と鼓とドラムの曲に合わせて付けてあって、ダンスの上手な生徒たちが、素早く無駄なく動いていく。隊士たちが卍になって襲いかかるフォーメーションの面白さ。抜刀斎が見せる残心の形のよさ。時折竹がなぎ倒されてゆっくりと沈んでいく。
これがどうして不殺の誓いなのか。小池修一郎の脚本・演出は、和月伸宏の漫画『るろうに剣心――明治剣客浪漫譚――」(集英社ジャンプ・コミックス、1994年)を基にしている。「るろうに」とは原作者の造語で、一所不住の者を指す。漢字では「流浪人」と記される。主人公緋村剣心は、幕末動乱の世には抜刀斎の通称で倒幕派を助け殺人剣を振るうが、幕府が瓦解して薩摩・長州の明治の世になると、この名を捨て、所を定めぬ「るろうに」になる。同時に殺人剣を捨て、人を殺さない逆刃刀(さかばとう)を帯び、衣装の色も紺から緋色に変わる。発端幕末のシーンは、主題を展開していくために必要だった。ここでは正義の名の下に殺戮がおこなわれている。
立ち回りそのものの面白さも大きい。今まで宝塚で行われてきた立ち回りは魅力に乏しかった。再演を重ねる名作『我が愛は山の彼方に』(植田紳爾・脚本、長谷川一夫・演出、初演星組1971年)は、10世紀の高麗と女真の戦いを背景に戦場の場面が出てくる。しかしその歯がゆさといったらない。大勢の兵士たちは男役を中心に、一部娘役も加わり、みな踵の高い靴を履き、重心が浮き上がって迫力がない。若者に人気のある劇団☆新感線なども立ち回りを売り物にしていて、体育会的迫力を見せるが、こちらは汗臭く、様式的な美しさに欠ける憾みがある。履物は地下足袋を使う(正確に言えば作業用の地下足袋ではなく、よく似た舞台用の履物)。
『るろうに剣心』の立ち回りは、宝塚では初めて本格的に大勢が地下足袋(に似た履物)を履いてなされた(少人数だけが使用した例は以前にもある)。ダンスの洗練された動きをベースに、迫力と様式的な美しさを両立させているのが画期的だった。劇団☆新感線より素早いこなしで、みな奇麗で少しも汗臭くない。この殺陣は語っている。男役は男子を下手に模倣するのではなく、もっと洗練された仕方で表現する。
緋村剣心というキャラクターについて、原作者和月伸宏はこう記している。
デザイン上のモチーフは、これといって無し。和月の読切デビュー作の主人公が黒髪長身、はでな鎧のいかにもって感じの美形だったので、出来るだけその正反対のデザインにしたら、女の子になってしまって(笑)、苦肉の策で左頬に十字傷をつけてみました。しかし、あの十字傷が実は、抜刀斎→剣心へとかわるキーポイントになっている(らしい)。(「登場人物制作秘話 其ノ一」)
一昨年2014年に宝塚歌劇団が百周年を迎えた際、実力と人気で歌劇を牽引したのは星組のトップ柚希礼音だった。この人が「黒髪長身の、いかにもって感じの美形」に相当するならば、剣心役の早霧せいなはそれとは逆の華奢なタイプで、柚希に対して、ちょうど漫画のキャラクターの変遷と同じ傾向を示している。
早霧は2014年に雪組のトップに就任した。その後早霧率いる雪組は、2015年の宝塚大劇場お披露目公演『ルパン三世』以来、同年の『星逢一夜』、それに今回の『るろうに剣心』まで、大劇場・東京公演を通して、どれも100パーセント以上の観客を集めた。お披露目公演から大劇場での3作が連続して、東京公演を含めて、観客動員が100パーセントを越えたのは、歌劇団初の記録だという(『星逢一夜』評はこのWEBマガジンにアップされている)。
はじめの2作品の主人公がひとつの路線を作っていた。強いけれどマッチョではなく、華奢なタイプの男役である。その路線が3作目で緋村剣心に出会う。読者(観客)の好みが漫画と宝塚で一致している。時代の思潮がジェンダーという回路をとおして、そこに反映されている。
主人公が明治の世になって殺人剣を捨て、代わりに身に帯びる逆刃刀とはどういうものか。逆刃刀は刀身の反りの内側すなわち普通の刀でいう峰の部分に刃がついていて、普通の刀の刃の部分が峰になる。いわば鎌のような形になる。これを普段と同じように反りを上向きにして帯刀する。もう自分から攻撃することはないが、理不尽な相手に襲撃されて抜刀すれば、必ず峰打ちになって、相手の命を奪わずに済む。逆刃刀の「逆」は、殺人剣の思想の180度の逆転に他ならない。
早霧が逆刃刀を振るい、これを鞘に納める時の所作も美しい。作法どおりに鞘の反りを上にしたまま、刀を持つ右の手首を返して納刀すると、逆刃刀の刃は反りの下側に付いているので、鞘口を傷めてしまう。このため手首は返さず、鞘の方の反りを下向きに直して、刃のない部分が鞘口に当たるように納め、腰間で反りをそっと元に戻す。
主人公が劇的な改心をとげる「キーポイント」の左頬の十字の傷は、旧幕時代、挙式を間近にした幕府方の武士清里明良(縣千)を抜刀斎が斬った時に、相手の鋭い切っ先がまず横一文字を刻んだ。その後互いにそれとは知らず抜刀斎と愛し合った女性雪代巴(星乃あんり)は武士の許嫁だった。ふたりが逢引をしているさなかに、斬られた夫の朋輩辰巳(央雅光希)が報復のために襲ってくるので、真実が明らかになる。それでも彼女は身を挺して抜刀斎を庇い、かつて夫が死ぬ間際に刺客、すなわち今の我が恋人の左頬に残した横一文字の傷に、懐剣で縦の線を加えて息絶える。
序幕に抜刀斎に助けられた山県狂介は、明治維新後は有朋と名前を改めて陸軍卿になり、行方不明になった抜刀斎を探させていた。彼は流浪人となって、各地をさまよっていたが、たまたま東京へ出てきたところを、かつての新撰組の猛者斎藤一(彩風咲奈)に見つけられて、陸軍省へ連れてこられる。斎藤は幕府瓦解後は藤田五郎と改名して警視庁の警部補になっていた。
山県有朋は抜刀斎改め剣心に頼む。国内で阿片を密売している者がいる。野放しにすれば国を滅ぼす。その犯人を突き止めてほしい。
山県有朋 「協力してくれれば、お前に陸軍の剣術指導を任せ、軍の重きをなす位に就けよう」
緋村剣心 「結構です。山県さん。維新志士たちは人が幸せに暮らせる世を作るために戦い、命を落とした。権力を得るためじゃない」
剣心は山県の依頼は断るものの、改めて斎藤から同じことを頼まれると承諾して盟約を結ぶ。
「明治の世に巣食うダニどもを始末するのが、生き残った新撰組隊士の責務だ」
陸軍省を辞し斎藤が去り、独り残された緋色の衣装の剣心の前に、紺の着付けの昔の抜刀斎の亡霊――「剣心の影」(永久輝せあ)――が現われ、忘れられぬ悪夢を再現して見せる。「剣心の影」は武士を襲い、自身は左頬に横一文字の傷を負い、後に武士の許嫁巴から縦の傷を刻印される(観客はこの時初めて左頬の傷のいわれを知る)。十字の傷は2人の夫を持った巴が、己の命を差し出して前夫へ謝罪し、現在愛する男の罪を購った徴である。この経緯から考えると、これはキリスト教の十字架を連想させ、抜刀斎の改心は神への回心を思わせずにはおかない。
永久輝も見事な殺陣を見せ、新人公演では主役緋村剣心を好演した。剣心は悪夢を振り払うように太田健作曲の「不殺の誓い」を歌う。
この刀は不殺の誓いの証
この傷は不殺の誓いの印
主人公が幕末の紺を替えて明治になって着る緋色は、ホーソーンの「緋文字」の色と同じである。「緋文字」のヒロインの胸には罪びとの徴に緋色のAの文字が縫い付けられている。AはADULTERYすなわち姦通の頭文字である。剣心は巴の死をきっかけに左頬の十字の傷と罪びとの衣装を身にまとう。彼は巴の使徒になった。それが「不殺の誓い」の意味に他ならない。
この作品には――原作も舞台も別にキリスト教と名指しはしていないが――超越者の視点がある。主人公は超越者の前で己の罪を悔い、逆刃刀を帯びて贖罪の日々を送っている。
剣心はふと知り合った若い女性剣道家神谷薫(咲妃みゆ)の「神谷活心流道場」に身を寄せることになった。彼女の亡父が「人を活かす剣」のために開いた道場を娘が引き継いでいる。
剣心は、同じように道場の食客になった喧嘩屋の相楽佐之助(鳳翔大)、少年剣士明神弥彦(彩みちる)たちの力を借りて、新しい時代の新しい敵に立ち向かう。神谷薫は剣心に首っ丈だが、それを素直に口にすることができない。剣心は女性に対する罪の意識が消えない。その微妙な気持ちの食い違いが時に口喧嘩になる。彼女は銀橋を下手から上手へ回りながら歌う。
どうして喧嘩してしまうのか
本当は好きだと
なぜ素直に言えないのかわからないこのまますれ違ってしまうのか
私たちふたり
当てのない旅に戻るのか
流浪人剣心
舞台のカーテンいっぱいに剣心の顔のアップが映し出されている。 こ演出は男役の仕掛けを明かしている。男役とは娘役の眼ざしの中に生まれ者である。薫は剣心の武闘の役には立たない。しかし彼の行動に意味を与えている。彼女の存在は超越者に似ている。
幕末長州藩の倒幕派を助けた剣客が、明治の世になると、新政府に出仕することを潔しとせず、マイノリティとしての矜持を守り続ける。この設定の先行作には、大佛次郎の鞍馬天狗シリーズの中の「新東京絵図」(1947年、月刊雑誌「苦楽」初出)がある。これが新憲法施行の年に書かれ、それから69年経ち、いま政府が憲法を変えようとする構えを見せる時、『るろうに剣心』が観客の熱い支持を集めていることは深い感慨を誘わずにはおかない。観客は時代の変化を鋭く読み取っているのである。それは戦後身に帯びてきた不殺の逆刃刀を元の殺人剣に持ち代えることではないのか。鞍馬天狗と緋村剣心は、戦後史を貫いて流れる一筋の同じ水脈から茎を高く抽く二輪の 五月の花である。
ドラマは剣心と阿片密売グループとの闘いを軸に転開される(原作漫画は長編なので、その他にも次々に敵が現われる)。武田観柳(彩凪翔)が密売グループを率いいている。彼は大勢の子分を養い、元会津藩ご典医の娘高荷恵(大湖せしる)を捕らえて阿片を精製させ、「蜘蛛の巣」という麻薬を得る。さらに公儀御庭番番頭を勤めた切れ者の四乃森蒼紫(月城かなと)に身辺警護を頼み、新時代の多銃身式機関銃ガトリング砲まで手に入れようとしている。
小池修一郎の脚本は、武田観柳の背後の黒幕として、原作には出てこない加納惣三郎(望海風斗)を新しく設定した。加納も新撰組隊士として名高い。ただし斎藤一の場合とは違い、名前を借りただけで、歴史からは大きく離れている。加納は新撰組を抜けて横浜のフランス公使館にもぐりこみ、幕末にパリで開かれた第2回万国博覧会に通訳として参加した。フランスに4年滞在して帰国し、今はジェラール山下と名乗る貿易商である。武田観柳が麻薬「蜘蛛の巣」と引き換えにガトリング砲を購入しようともくろんでいた相手はこの男である。しかし高荷恵が観柳の手から逃げ出し、剣心に救いを求めたので、「蜘蛛の巣」の生産はストップし、観柳は加納から冷たくあしらわれる。武田観柳が国内暴力団なら、加納惣三郎は国際的シンジケートに当たり、悪のスケールが違う。宝塚の舞台では最大の敵役として剣心に立ち向かい、役の重さに似合うように二番手男役望海風斗が演じている。
加納惣三郎の設定は、物語の展開だけでなく演出の面での役割も大きい。1幕は、旧時代と新時代の風俗が、街頭で入り混じるさまを描いていた。2幕は加納が前面に出てきて、思い切り派手になる。彼は麻布に設けた商館「プチ・ガルニエ」の開場記念祝賀会へ1幕に登場した人びとをみな招待する。正面に吹き抜けの大階段を置く奇麗な白亜の洋館を舞台に、愛と欲望、野心と権謀術数が渦を巻く。こうなると演出家の独壇場である。洋装の貴顕紳士淑女がフランス人の指導でワルツを踊る光景は鹿鳴館のパロディにほかならない。
ジェラール山下こと加納惣三郎は、陸軍の武器調達を一手に請け負う交渉を山県陸軍卿に持ちかける。しかし彼の真意は金もうけでも、新政府に協力することでもなく、反乱軍を組織して自分が権力を握るところにあった。そのために剣心を仲間に加えたいと考えている。高荷恵は今までに加納の手に渡った「蜘蛛の巣」がこの商館に隠されていると睨み、斎藤一改め藤田五郎警部補の捜索に協力し、悪人たちが密かに用意している毒酒から剣心たちを守るために目を配る。神谷薫はそうとは知らず、自分より年嵩で大人の雰囲気を漂わせるご典医の娘が剣心に親しげに振る舞うのがおもしろくない。加納は次のパリ万博で日本の剣術を披露して名を上げるようにと、言葉巧みに説いて薫の心を捉え、舶来の葡萄酒で酔わせて一室に監禁する。
剣心は阿片入りの酒を飲まされて体が痺れるが、高荷恵に介抱され、元公儀御庭番四乃森蒼紫の二刀流をかわして、薫の救出に向かう。加納惣三郎が立ちふさがる。
加納惣三郎 「どうだ。緋村。その娘と引き換えに俺のために闘わないか。もう1度。遊撃剣士として。逆刃刀など捨ててしまえ」
緋村剣心 「惣三郎。明治政府に恨みのある奴は幾らでもいる。だが、みんな必死で生きることで、己の闘いを続けているのだ。お前は昔の自分に捕らわれて、今の自分を殺そうとしているのでござるよ」
山県陸軍卿ら政府要人たちも、一時は加納の部下に「蜘蛛の巣」を吸わされて陶然としていたが、高荷恵に解毒治療を受けて、正気を取り戻す。国内暴力団の武田観柳は藤田警部補に逮捕され、加納惣三郎は剣心に追い詰められ大階段の上のフランス窓から中庭に落下していく。神谷薫は葡萄酒の酔いから醒め、剣心の真心を知って、二人の心は一つに溶け合う。
政府転覆の企ては未然に阻止された。ただ庭に落ちた加納惣三郎は、また二刀流をかわされて姿を消した公儀御庭番の四乃森蒼紫はどうしたか。その後の行方は帝都の夜の闇に紛れて杳として知れない。彼らは一旦は消えたと見えても、歴史の暗く深い地下水脈の中で生きつづけ、いつまたどこで出てくるか分からない。『るろうに剣心』では剣心の逆刃刀が辛くも勝利を収めた。
これは日本の現状と、この国が将来向かおうとする方向への強烈は批評である。宝塚の男役とは、女性が仮に男の衣装に身を包んで、その時々の時代のテーマに立ち向かう姿である。