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Photo of Chiten's Mysteriya Buffe 2015
地点×空間現代(F/T2015)『ミステリヤ・ブッフ』
2015年11月20日(金)~28日(土)
東京都 にしすがも創造舎
作:ヴラジーミル・マヤコフスキー
演出:三浦基
音楽:空間現代
出演:安部聡子 / 石田大 / 小河原康二 / 窪田史恵 / 河野早紀 / 小林洋平
撮影:山西崇文

 ロシアの詩人マヤコフスキーがロシア十月革命直後に書き上げた革命の祝祭劇が『ミステリヤ・ブッフ』である。道化的聖史劇とでもいう意味で、一九一八年にメイエルホリド演出で上演された。
 第一幕は全宇宙が舞台で、洪水で水浸しになった地球に不潔な人々(プロレタリア)と清潔な人々(支配階級)が登場してくる。彼らはノアの方舟伝説に倣って方舟を建設して、約束の地を目ざすことになる。
 第二幕は方舟の中。清潔な人々が食料を食べ尽くしてしまい、怒った不潔な人々は彼らを船外へ蹴落としてしまう。方舟はアララート山へ向かっているはずだったが別の地に着いてしまう。
 第三幕は地獄、天国、約束の地の三層になった世界で、不潔な人々にとって閻魔や悪魔たちの住む地獄など、先頃まで暮らしていた地上の世界に比べれば何も恐ろしくもない所だった。天国は全くの期待外れの所で、さらに上昇していくと、そこは約束の地=「革命という名の神聖な洗濯女に洗い清められた地球」だった。不潔な人々は出迎えた機械と「物たち」とで新しい生活を始めることにする。今や全世界がコミューンとなる。
 登場人物は「物たち」も含めて優に30人を超すのだが、劇団地点の演出・三浦基はこれを六人の俳優(安部聡子、石田大、小河原康二、窪田史恵、河野早紀、小林洋平)にすべて演じさせた。
 初めは、似たような衣裳(グレイのガウン)を着た俳優たちが、誰がどの役を演じているのか、戯曲を読んでいる者にもさっぱり分からない。何しろ木の椅子を逆さに頭の上に載せて登場して台詞を言うのである。不安感、不安定感しか伝わってこない。
 そのうち、これは誰がどの台詞を言っても構わないのだと気づかされる。マヤコフスキーが劇中で登場人物の一人に言わせているように、これは「言葉のスポーツ」、谷川俊太郎の表現を借りれば「詩劇よりも言葉のサーカス」なのだ。
 空間現代(ギター、ベース、ドラムス)の弾き出す音楽も伴奏というよりも、登場人物たちの発する台詞と呼応して先になり後になって演奏する台詞の構成要素となっている。バンドも登場人物たちの一人なのである。
 幕はもちろんないのだが、第二幕に入って、椅子を使わないようになると、途端に俳優たちの運動量が増してきて、道化的な演技に拍車がかかる。彼らの走り回り、駆け上がり、駆け下りる身体表現が圧倒的にダイナミックになってくる。ついに登場人物の一人がロープで宙吊りになっていく。
 にしすがも創造舎の空間に設けられた円形階段状の客席、アリーナ中央の円形の装置がすなわち地球なのだろう。そこを湾曲した平均台のような装置が二重に取り囲んでいる。その外側を俳優たちがスピードを上げて走り回る。円形の地球の中へ頭から入りこんでいく者もいる。
 悪魔たちを嘲笑し、天国の聖者たちとその生活に失望し、最後の力を振り絞って「約束の地」へと上昇を続ける不潔な人々のエネルギーがいかんなく体現されていた。
 一つだけ残念であったのは、この戯曲にはマヤコフスキー特有の「物たち」=機械、パン、塩、鋸、針、ハンマー、本、その他が登場し、不潔な人々と協働して新しい生活を築いていく場面で終わるのだが、その関係がきちんと表現されていなかったことだ。
 革命の祝祭劇を「言葉のスポーツ」、「イメージの奔流」として描き出したマヤコフスキーだったが、皮肉なことにそのわずか十年余り後、彼は不潔な人々だけが、迎えに来た「燐光の女」に率いられてタイムマシンに乗り込み、五十年後の共産主義社会へと旅立っていく戯曲『風呂』を書かざるを得なかった。
 彼が自殺する(または他殺)直前のことである。