犯罪者に小市民の側面を見る―オフィスコットーネプロデュース『密会』── 藤原央登
犯罪者とは、「時代への尖兵」として異常な世界にたまたま足を踏み入れた者である。かつて別役実は、『別役実の犯罪症候群』(三省堂、1981年)でそのように記した。犯罪用語や事件を別役独特の論理で解説してゆくこの本では、犯罪者と一般生活者の区分がいかにあやふやであるかが詳述される。後者は簡単に前者になり得るのだ。また、しばしば犯罪事件によって時代が語られる。我々が覗き込んでいたかもしれない暗部を知った犯罪者は、時代のまさに突端に位置する象徴として見るからだろう。だからこそ、犯罪者分析が行われる。目的はとどのつまり、正常な一般人が一線を越えないための処方箋を提供するためだ。
だが、異常で動機不明の殺人事件のニュースに出くわしたとき、往々にしてその残虐性と不可解さが喧伝される。そのことで、平穏な日常生活を送っている一般生活者といかに違うかが強調され、我々は溜飲を下げる。正常な私たちには理解しがたい、わからない存在だと。そのように犯罪者を排除しなければ、日常のホメオスタシーが維持できない。2014年7月の佐世保女子高生殺害事件、9月の神戸市女児死体遺棄事件も、犯罪の残酷さと犯人の異常性がクローズアップされればされるほど、自分たちにはわからないと差異を強調するばかりで、やがて忘れていくことになるのだろう。
『犯罪症候群』には「「わかりません」一派」という言葉が出てくる。イエス、ノーの二者択一を脱臼する第三の解として登場するこの言葉は、スパイやテロリストを代表とする我々にはすぐさま理解が不能な犯罪者たちの行動指針だという。この言葉は犯罪者自身のものであると同時に、「わかりません」と態度を保留することで凶悪事件にコミットすることを放棄する我々の態度にもそっくり当てはまろう。犯罪が人間関係の連鎖の中から生まれる限りにおいて、犯罪者は我々の「無意識の共犯者」である。この本はそのような意識の基、「不安定な生活者」が犯罪を通して「自分自身の位置」を測るべく書かれている。
大阪の劇作家・演出家、大竹野正典(1960~2009年)による『密会』(演出・日澤雄介=劇団チョコレートケーキ、プロデューサー・綿貫凜/初演は1993年、スペースゼロ)を観ながら想起したのは、上記の別役の本のことであった。深川通り魔殺人事件(1981年6月17日)を題材にした本作は、作家自らが当事者であるかのように、4人を殺害した男の人生にせまる。もちろん、物語は事実ではなくフィクションである。にもかかわらず、犯罪という非日常が日常と表裏一体であること、ちょっとしたきっかけで人は「時代への尖兵」になりえることを、作家が重々承知していることが感得できる。ここには、「「わかりません」一派」とは異なる目差しが注がれているのである。
バス停そばの道路。ベンチと案内標識。道路を隔てて公衆電話。ある男が電話をかける。相手は江戸前寿司。雇用契約の是非を尋ねる電話である。それまで男は8件の寿司屋に勤めては短期間で解雇されていた。舞台は、犯罪の引き金となるこの瞬間を起点に、その前後で出会った人物との関係性をフラッシュバックで見せてゆく。劇が進むにつれ、バスを待つ女性や通りがかりの主婦は被害者であること、中華料理店を探す2人の男は犯人の父と兄であることが判明する。いまだに引きずる故郷・銚子で出会ったホステスへの想い、覚せい剤に手を出したきっかけ。しだいに男の人生も浮かび上がってくる。父と兄とのやり取りで顕著なように、シーンは別役劇を思わせるナンセンスコントで進むが、「わかりません」が「わかる」へと回路が開かれていく点に違いが求められよう。理屈付けは決して押し付けがましくも説明臭くもない。その理由は、大竹野が犬の事務所、くじら企画と集団を率いて演劇活動を続けながらも、生涯一サラリーマンとして過ごしたことが関係しているのではないか。市井の人間が犯罪行為へと転落してゆく哀れさに寄り添い理解しようとする態度は、実生活者であった大竹野にとって差し迫った行為だったことが推察される。
そのような想いを込めた大竹野の回線を共有するように、舞台化した創り手は誠実な態度で挑んだ。中空に反転する公衆電話とベンチは、覚せい剤でぐんにゃりと時空がねじれた男の視界を示している。戯曲(『大竹野正典劇集成Ⅰ』松本工房、2012)に指定された、暗転と明転を間断なく繰り返す場転も忠実に行っていた。それにより、瞬時に人物が登場したり消えたりする、奇妙な空間が形成された。そして、ナンセンスな笑いを説得力を持って実体化した藤井びんと内野智、はすっぱなホステスと無垢な通りすがりの主婦の2役を演じ分けた清水直子(俳優座)ら、俳優たちが不可思議な劇世界を支える。そして、犯罪者を演じた唐組の稲荷卓央。劇中何度も流れる『ペルシャの市場にて』を背景に、周りの人間が全て敵に見えて暴走する様と、男が本来送りたかった幸せな人生計画を切々と語るシーンとの対比の物悲しさ。振幅の揺れが激しい役を、稲荷は全力で演じた。男の夢はホステスと共に人生を歩み、子供を2人授かって小さな家を建てることだった。子供の名前が、殺害された主婦の子供の名前と一致していることは、この作品の重要な点である。彼女の夫(岡本篤=劇団チョコレートケーキ)は男と同じく失業中の身である。一方は犯罪者であり、もう一方は被害者遺族という設定は、まさに「時代への尖兵」が薄皮一枚で隔てられていることを如実に表す。
オフィスコットーネでは、2012年より温泉ドラゴンを主宰するシライケイタ(白井圭太)によって大竹野作品の上演を続けている。上演履歴は『山の声~ある登山者の追想』(2012~2014年)『黄昏ワルツ』(2013年)『海のホタル』(2013年)『サヨナフ』(2014年)。2014年12月には、シライ演出による『海のホタル』が再演される。長崎・佐賀連続保険金殺人事件(1999年)が題材。初演は清水直子や福士惠二の演技が劇を引っ張った。犯罪を間に置いて、此岸と彼岸に揺れる濃密な人間関係。必見だ。(2014年8月18日ソワレ、ザ・ススナリ)