那覇文化芸術劇場なはーと 自主事業 「出会い」シリーズ② 白神ももこ×兼島拓也『花売の縁オン(ザ)ライン』――組踊を現代に/沖縄の現在地を考える試み/濱田元子
琉球王国時代から300年以上続くユネスコ無形文化遺産の伝統芸能「組踊」が敗戦後、初めて上演されたのは1945年12月、石川の城前小学校でのクリスマス演芸大会だった。演目は「花売の縁」(作=高宮城親雲上)。ヤンバル(大宜味村津波)へと出稼ぎに行った首里の士族・森川の子(し)と、残してきた妻子との10数年後の劇的な再会を描いた物語だ。
住民を巻き込んだし烈な沖縄戦で、多くの人が家族と死別したり、離散したりした。人々の心情に重なったのだろう。公演は「観衆のざわめきと嗚咽につつまれていた」と舞台上で演じていた島袋光裕(こうゆう)氏の証言が残る。
そんな「花売の縁」を基に新たな形で舞台創造しようという試み、『花売の縁オン(ザ)ライン』(那覇文化芸術劇場なはーと)が11月30日と12月1日の両日、なはーと小劇場で上演された。KAAT 神奈川芸術劇場『ライカムで待っとく』で注目された兼島拓也(チョコ泥棒)が作・演出、白神ももこ(モモンガ・コンプレックス)が演出・振り付け。ペリーが来琉した1853年を軸に、時空を超えた世界観を創造し、沖縄の歴史と現在地を考えさせる舞台となった。
こちらの物語は、ヤンバルにある山の上の館でとある任務に就いている森川の子/森川氏(井上あすか)と、夫を捜す妻の乙樽(山内千草)と子の鶴松(大山瑠紗)の道行が交互に描かれる。ペリーのほか、19世紀半ばに来琉したヨーロッパの宣教師や、ジョン万次郎、幕府に献上されたテレグラフ機、中国でのアヘン戦争などの歴史的出来事をパズルのピースのように絡ませ、沖縄の地政学的な立ち位置を浮かび上がらせていく。
セリフはポップな現代口語で、言葉遊びや連想があふれる。森川の子の「の」を取って「森川氏」となっているが、それを「アカウントの乗っ取り」に結びつけるといった、今っぽい発想も面白い。「一〇〇年後に、この島はアメリカのものになる。未来はそう決められている」といった予言めいたセリフも挟まり、沖縄戦から原爆の開発、米軍の27年にわたる占領、いままた軍備増強が進められている沖縄の姿や本土との関係を改めて考えさせる。同時に、ラストも原作から変えるなど、たどるラインが決まっているかのような世界への批評的な視点は、『ライカム』とも通じるものだ。
コンセプチュアルな言葉が思考を刺激していく一方で、組踊の唱えのリズムを意識したセリフ回しや、道行の中で出会う猿回し、最後の森川の子の踊りなど身体表現を意識した場面も。舞踊が重要な構成要素になってい辺りに、組踊との結節点が感じられる。比較的若い座組のなかで、薪木取などを演じた安和学治(艶劇おとな団)に安定感があり、いい味を見せる。
「伝統を現代に」と唱えたのは落語家の立川談志だが、ただ保存・継承するだけでは芸の発展はないだろう。時代、時代の空気を吸いながら、いまに生きる芸能としてどうあるべきか。そんな伝統芸能の未来を見据える上でも、果敢な挑戦だったと言えるだろう。
そもそも組踊自体、薩摩藩の支配下にあった琉球が、君臣関係を結んでいた中国の冊封使をもてなす芸能として、踊奉行の玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)によって創始されたものだ。アジア諸国との交易で栄えた島国が、周辺の国々と共に生きていくための「知恵」だったのである。分断が深まる世界にどう「橋」をかけていくか。組踊がつないできた精神には、現代へのヒントもあるように思われる。