世界の捉え方を変える演劇――イキウメ『ずれる』桂 真菜
精神と肉体の関係
輝、春、士郎、佐久間の四名は怨恨めいた負の感情を抱く。しかし、整体師の時枝は恬淡(てんたん)と、執着を断った僧さながら。春が肉体を部屋に置き霊体となって出かけるシーンで、霊体は不可視のはずなのに、時枝の目には映る。この流れから時枝は特殊な能力の持ち主だと分かる。時枝に扮した森下が凄まじいエネルギーを放つのは、大柄な盛が演じる佐久間を幽体離脱させる場面だ。ステージ手前を歩む佐久間の手を時枝が握ると、佐久間は前傾して地に伸びる。時枝は熟達の武道家の趣で、魂を抜く構えを解かず静止。ストップモーションの間、精神と肉体を分ける技を目撃した衝撃で、筆者の呼吸が途切れた。かつて筆者は、催眠術師に暗示をかけられた人が身体を硬直させ、棒状に倒れるプロセスを間近に見た。その際の震えがよみがえるほど、森下と盛の息の合った演技は、迫真の表現だったのだ。
危機に囲まれた現代の生命体を描き、たましい(魂魄)に注意を向けさせる本作は、宗派に関わらず大いなる存在を敬う、宗教心のようなものを内奥に呼び覚ます。ユーモアと哲学と恐怖を編んだ『ずれる』には、世界の捉え方を変えるヒントが詰まっている。

撮影=田中亜紀
美術、照明、音、衣裳、ヘアメイク……総合的に練り上げた作品
輝の住居は春が戻り佐久間、士郎、時枝が加わるうち、人智を超えたものが飛び交う魔界の様相を帯びる。けれども、過去の記憶や離れた場所の事件も、すべてリビングルームの装置の中で語る構成が、浮遊感とリアリティを共存させる。天井のスクリーンに抽象的な映像が流れると、異次元に入るスリルを感じる。美術(土岐研一)はモダンで、かわいいデザインの電話機がレモン色なので、親からの連絡で着信音が鳴ると、黄色信号が灯った印象を受けた。贅沢な生活を感じさせるソファを置くインテリアは、人物の特性を表す衣裳(今村あずさ)とヘアメイク(西川直子)、照明(佐藤啓)、音楽(かみむら周平)、音響(青木タクヘイ)が冴える設(しつら)えだ。時折パトカーのサイレンやうなり声が轟(とどろ)くが、春が透明な幽体になる折は、水音が波紋状に響く。此岸(しがん)と異界を切り替える音は、『ずれる』感覚を耳からしのびこませる。照明も繊細に心理や情況の推移を示す。驚嘆をよぶ場面の、壁面を赤く染める鮮烈なライトも忘れ難い。
印刷物も作品の世界観を表現
幻想と現実の間で鑑賞者を覚醒させるイキウメの公演では、毎回スタイルを変える宣伝美術(鈴木成一デザイン室)も楽しみだ。『ずれる』のフライヤーと当日配布プリントは、余白の広いモノトーンのデザインで、嵐の前の静謐をはらむ。五線譜の音符に似た電線の鳥群を撮った写真(水谷吉法(みずたによしのり)撮影『KAWAU』)を配した紙面は妖しくも美しい。並ぶ鳥たちはダフネ・デユ・モーリア(ヒッチコック監督『鳥』『レベッカ』原作の著者)の短編『鳥』を思い出させる。無数の鳥が人間を襲い、生命を奪う小説だ。写真の河鵜は人間に訓練されて、魚を捕える漁を行うこともある。写真に添えた「なにかが私たちを見ていた。(後略)」というミステリアスな文章も、人類の衰微に警鐘を鳴らす舞台と響き合う。タイトルをデザイン化した仮名三文字のロゴは、微妙に幅と間隔を変えた6本の線を曲げて、端をずらした形状。イキウメの公演では優れたデザインの印刷物も、作品の一部として劇団のイメージを育んできた。前川と劇団員およびプロデューサー(中島隆裕)の、作品への情熱が立ちのぼるビジュアルは、観劇後に見直すと余韻と相まって、芝居の魅力が深まる。今までの舞台に触発された事象を顧みれば、多様な活動を経たメンバーが、劇団イキウメらしい濃密で完成度の高い作品を発表する日がいっそう待ち遠しい。