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ジェンダー役割分担を超えるキャラクター

 小山田兄弟の両親に対する鬱憤(うっぷん)と、山鳥士郎の父に寄せる哀惜は、人間の成熟と生育環境の関係を振り返らせる。輝と春は裕福な家で育ち、物質的には恵まれている。父を16歳で失った士郎は、勉強に励み家事万端を身につけた。努力の源は父の仇(かたき)に対する復讐心だ。それに加えて、卸店を営んだ父とは活動領域をずらし、自立して生き抜こう、と決めた可能性も示される。輝との会話で、大学院の修士論文のテーマはイヴァン・イリイチと述べた士郎は、イリイチの思想『シャドウ・ワーク』に言及。金銭を稼ぐ仕事は男に、経済基盤に不可欠だが報酬のない影の労働(シャドウ・ワーク)は女に。こういったジェンダー役割分担に囚われない、先進的な人物が士郎なのだ。世界経済フォーラムの「グローバル・ジェンダー・ギャップ・レポート2025」によると、日本は調査対象国148カ国中118位で、G7最下位が続く。士郎のような人材は、ジェンダー格差の解消に貢献するだろう。イリイチの説く「制度からはみ出す労働」に興味があった、と話し家事をビジネスと等しく楽しむ士郎を、輝はまぶしく眺める。

 父への思慕を胸に苦学した士郎は、富裕層の兄弟より生活面の創造力は豊かだ。手入れの行き届いた肌と撫でつけた髪が艶やかな士郎を演じる浜田の、洗練された物腰は狡猾なほど隙が無い。知的かつ冷静なだけに、情をほとばしらせ「父が好きでした」と述懐する台詞が際立つ。山鳥という士郎の姓は、イキウメの2023年公演『人魂を届けに』に登場した森の奥に住む「母」の呼称、山鳥と同じ。女形の篠井英介は、森に集う寄る辺ない者たちを温める神秘的な「母」の役に、威厳と優雅さをもたらした。山鳥も士郎もジェンダー規範に縛られず、しなやかな強さをたたえた、観客の視野を広げる前川ドラマの体現者だ。

幽体離脱を行う春(大窪人衛、左)を支える、秘書兼家政夫の山鳥士郎(浜田信也)には秘密があった。
撮影=田中亜紀

 

「常識」や「主流」とは別の文化

 スマートな士郎とは対照的に感情を波立たせ、法律を軽視して周囲を不安に陥れる佐久間は、過激な動物愛護活動にも関わるらしい。大麻を吸い飲酒運転を行うワイルドな態度は、主流とされる既成の価値観への異議を申し立てる、オルタナティブ・カルチャーを象徴。長身でアフロヘアの盛が演じる佐久間が、ニットキャップを引き下ろし目出し帽にした変貌は、暴力の兆しを漂わせて観客を緊張させた。盛は初対面の時枝に「ジジィ」と呼びかけるトラブルメーカーの無骨さと、コメディアンの愛嬌を併せもつ佐久間を造形。突飛な言動で平穏をかき乱すわんぱくぶりから、自由に憧れるロマンティシズムが透けて、観客の微笑を誘う。

 輝の高級酒を勝手に飲む傍若無人な佐久間は、ルールに則って企業と家族に尽くす「善良な市民」と相いれない。決められたコースを無難に歩む輝と、冒険を求める奔放な佐久間は水と油。だが、両名にも理解しあう糸口が配された本作は、誰かを他者として切り捨てる狭量を戒める。

 春が「ありのままの世界」と紹介するスペースに輝が近づく終盤、弟を呼ぶ兄の声には熱い血が通う。主体性を捨てた時期の輝のライフスタイルも、本能を制御されケージに閉じこめられた動物に重なっていた。ところが、春の起こした事件で社会的信用が傾くと、輝は精彩を増す。健やかになっていく輝を、安井は微かな身振りや姿勢の差で見せる。積極性を感じさせる安井の歩行は、輝が親の指示とは別の道を選ぶ将来も予想させる。霊体や動物の目に映る「ありのままの世界」に触れた筆者は、自分の眼にも偏見のフィルターがかかっていることを再認識した。

動物愛護活動家の佐久間一郎(盛隆二、左)が、小山田輝(安井順平)の家に同居しだす。
撮影=田中亜紀