世界の捉え方を変える演劇――イキウメ『ずれる』桂 真菜
家庭における抑圧、従属、反抗、不和
謎めいたストーリーは多彩な課題を織り込むが、登場人物の家族模様が、観客に親しみを与える。前川の書く台詞は、巧みに肉親の反発を構築。輝と春はひとつ屋根の下にいても、気持ちのずれは拡張するばかり。年長者として責任を負う輝は「二人っきりの兄弟じゃないか」と手を差し伸べる。だが、春は「一人っきりの人間が二人いるだけだよ」と冷たく返す。厳しい教育を押し付けた父母には「僕を捨て、兄さんを支配している」「命令と禁止で、僕は何もできなかった!」と怒りを燃やす。両親は兄弟の言葉と電話を通して描かれ、現れない。しかし、世間に流布する優劣の基準で、子どもの個性を抑圧した様子が、くっきり伝わる。両親の期待に応え、好きな人と離れ心を閉ざした輝のつらさを、思いやる余裕は春にはない。安井は諦念と焦燥で揺れる輝の振幅を、物憂げな挙措進退で示す。不和な兄弟からにじむのは、いやしがたい孤独だ。傷つけ合う家族の気まずさが、絶妙な間(ま)からこぼれる。

撮影=田中亜紀
人類が他の存在を支配する権利
家族のディスコミュニケーションを知ると、春が動物の解放を望む理由が推察できる。鋳型にはめられるストレスが極まって、心が身体を離れた。そう時枝に幽体離脱のきっかけを告げる春は、管理される動物に自らの息苦しさを投影するのではないか。外敵から守られ餌をもらうペットや家畜は、人間の利益のために品種改良され、自然の中で生きる力を失った。自由を奪われ弱体化させられた動物たちを気にかける春は、人と異なる種にも尊厳を認める。人間に他の種を支配する権利があるのか、と疑う春のまなざしは純粋で共感力を宿す。しかしながら、家畜を野生動物に転じる計画を語る春には、自分を疎外する「普通」の人々を困らす行為を、面白がる風情も漂う。大窪の無垢に邪気が混じる笑顔に、超越者の片鱗が閃く。
春と佐久間が掲げる動物愛護の方法は、自然から引き離されて歪められたものたちの救済には結びつかない。だが、ふたりが危険を賭けて試みる飼育動物の野生回帰は、人類とそれ以外の存在の関係を観客に意識させる。春と佐久間は逃がした隣家の犬が殺処分されようと、その前に自由に走る方が良い、と主張して輝と衝突。凶暴な牙による被害を案じる輝に、春は「対等だってことだよ」と抗う。もし人間も野生に戻ったら……銃や罠を使えず鳥獣に負け、モラルを失い人間同士の弱肉強食が激化……。そんな妄想をも導き、文明を離れた人類の脆弱さを知らしめる応酬だ。
絶滅危惧種の増える現在、虐待や乱獲は禁じるべき、という見解に賛成の人は多い。とはいえ、天然記念物、益獣、ペット、食肉用と分けてきた動物を、全人類が利害を捨てて保護しきれるのか。登場人物たちの相克が投げかける問いに、正解を見出すのは容易ではない。古代から動物を使役して築いた文明に、亀裂が入る危機的状況が、舞台を侵す獣の気配から匂いたつ。遠吠えや咆哮と人物の語りから、獣類の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)を示す前川の演出は、姿形を隠しているだけに恐怖を増幅させる。