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1. 6stepsにおける振付について

 2024年5月17日、18日、有楽町アートアーバニズム YAU が運営する1)有楽町アートアーバニズム(YAU)は、大手町・丸の内・有楽町一帯を拠点に展開するアートプロジェクトでありビジネスプロジェクトである。YAU CENTERにてダンスパフォーマンス『6steps | 6段の階段+振付書+森の営みから生まれるダンス』が上演された。このダンスパフォーマンスは振付家・ダンサーの木村玲奈を中心に企画されたダンスプロジェクト「6steps」の一環である。2)6steps.netこのプロジェクトは、2022年から木製の階段を用いたパフォーマンスやイベントを継続的に公開してきた。木製の6段の階段は木村と美術家である吉永晴彦によって設計され組み立てられている。この段上で踊るダンス上演が各地で行われることもあれば、2023年にはYAU STUDIOにおいて一定期間インスタレーションのように設置され、そこに集まるアーティストやビジネスパーソンなど様々な人々の注目を集め、そうした人々の交流地点として現れていたこともあった。

 このプロジェクトにおいて最も興味深いのは、階段を振付(あるいはその一部)とみなしていることである。階段をダンスのための特殊な舞台としてその条件の中でどのような振付が踊られるかということが通常は想定されるが、階段が振付とみなされるのであれば、階段は上演においてそのような役割で振る舞っていないことになる。このプロジェクトでは振付の一般的な定義を拡張する実験的な試みが展開されており、それゆえにこれは単なるダンスを上演するプロジェクトではないといえる。振付はダンスを上演可能にするための記録手段として捉えられてきた。西欧における振付(Choreography)は、その記録方法を多様な方法で現代にいたるまで発展させてきた。しかしながら、近年において振付はダンスと密接にかかわりながらも自律した芸術的メディアであることに着目した実践や研究が増えてきている。振付はもはや非常に多岐にわたる方法論と定義を獲得しているが、その中でも動きを作り出す原理としてみなされていることは共通している。すなわち、具体的な書記法や記録方法が振付なのではなく、動きを生み出しているフレームワークが振付なのである。ダンス上演に引き付けていうならば、観客の目の前で対象が動く場合、それらは一定のフレームワークの中で動かされているのであり、すなわち振り付けられている。上演において振付は観察の結果、事後的に見出されるものでもある。そこでわかるのは、振付はダンスに先んじて作られて残されているだけではなく、上演の間に可視化され経験可能なものとして現れることもできることである。ウィリアム・フォーサイスはまさしくこのような振付の原理そのものを経験可能にするインスタレーションのシリーズ「Choreographic Objects」を展開している。3)Forsythe, William: Choreographic Objects彼にとってもはやダンスが関心事でなくなったというわけではなく、振付という運動原理の経験可能な領域を追究することがダンスの可能性を広げるはずだという仮説がこのシリーズでは示されている。振付が原理であるならば直接的に経験することはできず、メディアを通じて初めて経験可能になる。振付が現われるためのメディアに制限はないが、メディアを通して作り出される動きには限界がある。そのように考えるならば、上演において観客の目の前で実際に展開される運動は、振付というフレームワークの中で(見通せないながらも)有限な運動の可能性の一つが現われているといえるだろう。

 振付が近年広く注目を集めるのは、政治的な議論と結びつくからでもある。それは、芸術における「自由な」表現に対する障壁としての振付という批判である。振付がダンサーに対して従属を求めるルールとして捉えられるならば、人間存在の基礎としての自由が達成されず、振付は乗り越えられるべきだろう。従属への反発としてのダンス実践は、モダンダンス以降の歴史において幾度となく登場してきている。それでもなお振付が用いられるのは、保守的な権力関係が求められているからではなく、振付というフレームワークが、ダンサーを踊る人間主体として生み出してもいるからである。振付の政治性は、その乗り越えや打破ではなく、ダンサーが主体性を獲得する過程にある振付との交渉において現れる。4)例えば、以下を参照。ゲラルト・ジークムント「舞踊と政治――ウィリアム・フォーサイスとケンダル・トーマスの『ヒューマン・ライツ』」津﨑正行訳『演劇と民主主義 演劇学と政治学のインタラクティブ』平田栄一朗/針貝真理子/北川千香子編、三元社、2025年、178-199頁。5)筆者は以前、振付との関係においてダンサーの自由はどのように獲得されうるのか、観客はどこにそれを認めるのかという問いが、ダンスにおける政治的なるものであることを6stepsを例に指摘した。宮下寛司:「6stepsについての覚え書きと2023年12月に行われた2つの公演について

 6stepsは数々のイベントを通じて、振付にまつわる上記のような議論6)ダンサーの藤田一樹は6sptesへのレビューにて以下のように述べる。「しかし、これらの動きは日常動作の範囲からは決して逸脱しない。例えば、階段をよじ登るとか、体当たりするとか、そのような装置自体の機能を脅かすような行為は一切ない。ありふれた階段がその見知った機能を保ったままそこにある。それは暗黙のうちに、そこで巻き起こることが、日常生活からさほど遠くないところにあるように思えてくる。」In: 藤田一樹:「6steps – 6段の階段から生まれるダンス –」。また、批評家の落 雅季子は、実際に6stepsを上り下りした経験から以下のように述べる。「木製の階段の下に立ったが、たしかに川山の言うように、見上げた先に目的地のない階段に、どう向き合うかためらわれた。アパート、駅、オフィスビル。どこを思い出しても階段とは階層を移動するための道で、必ず先に目的地がある。このように「昇降」だけを目的に置いたとき、人はどのように一歩を踏み出すか。そもそも、人は「昇降」だけを目的とみなして体を動かせるか。何を拠り所とするのかを問うように、階段は立ちはだかっていた。」In: 落 雅季子:
踊り手の動機を深く問う – 6stepsという装置 –」。
を惹起してきたことは、これまでの劇評やコメントからもうかがえる。今回のプロジェクトではそれまでの成果も踏まえてさらに新たな試みが加わっている。それは6stepsという環境の生成である。

 今回のプロジェクトは、東京で採れる木材を都市において有効活用することを提案するイベント『TOKYO WOOD TOWN 2040 山と木と東京』7)公益財団法人日本デザイン振興会「GOOD DESIGN Marunouchi企画展「TOKYO WOOD TOWN 2040 山と木と東京」を全5会場で開催!」の一環で、有楽町アートアーバニズム YAUの企画のもと実施された。このイベントは丸の内エリアで開催され、YAUにおいて、木村たちは東京都西多摩郡檜原村で創業し拠点を置く林業会社の東京チェンソーズと協働して、青梅市で採取された杉の木を用いて新たに6steps/6段の階段を制作した。林業が抱える構造的問題を乗り越え持続可能性を獲得しようとする姿勢に、ダンス制作に対する危機感を持つ木村が共鳴したことで成し得たプロジェクトである。6stepsは国際ビルの一階に構えるYAU CENTERで21日間インスタレーションなどを展開した。YAU CENTERはもともと意匠のこらされた大理石の床が目を引くモダンな空間であったが、このイベントを機に、そこへ杉で作られた小上がりのスペースが設置された。全く新しい室内の景観の中に新旧2つの階段、記録映像を映し出すモニタが設置された。会期中終盤に行われるダンスパフォーマンスには、木村とダンサーである杉本音音が参加する。この会場での2人による「森の営みから生まれるダンス」のクリエーションおよびリハーサルが公開された。木村たちが創作過程を公開すること自体は珍しくない。その目的は、パフォーマンスさえも含むようなこの会場で展開する6stepsというプロジェクトの時空間を長い時間をかけて形成することである。鑑賞者や観客が経験するのはダンスそのものだけではなくこのように出来上がる時空間である。この上演に限定されず広がる時空間は振り付けられた環境ということができるだろう。

檜原村でのリサーチ
木村玲奈/6steps「6steps|6段の階段 森の営みから生まれるダンス」 パフォーマンス『6steps | 6段の階段+振付書+森の営みから生まれるダンス』
構成・振付・出演=木村玲奈
2024年5月17日(金)、5月18日(土)/YAU CENTER
Photo by Aya Comori

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1. 有楽町アートアーバニズム(YAU)は、大手町・丸の内・有楽町一帯を拠点に展開するアートプロジェクトでありビジネスプロジェクトである。
2. 6steps.net
3. Forsythe, William: Choreographic Objects
4. 例えば、以下を参照。ゲラルト・ジークムント「舞踊と政治――ウィリアム・フォーサイスとケンダル・トーマスの『ヒューマン・ライツ』」津﨑正行訳『演劇と民主主義 演劇学と政治学のインタラクティブ』平田栄一朗/針貝真理子/北川千香子編、三元社、2025年、178-199頁。
5. 筆者は以前、振付との関係においてダンサーの自由はどのように獲得されうるのか、観客はどこにそれを認めるのかという問いが、ダンスにおける政治的なるものであることを6stepsを例に指摘した。宮下寛司:「6stepsについての覚え書きと2023年12月に行われた2つの公演について
6. ダンサーの藤田一樹は6sptesへのレビューにて以下のように述べる。「しかし、これらの動きは日常動作の範囲からは決して逸脱しない。例えば、階段をよじ登るとか、体当たりするとか、そのような装置自体の機能を脅かすような行為は一切ない。ありふれた階段がその見知った機能を保ったままそこにある。それは暗黙のうちに、そこで巻き起こることが、日常生活からさほど遠くないところにあるように思えてくる。」In: 藤田一樹:「6steps – 6段の階段から生まれるダンス –」。また、批評家の落 雅季子は、実際に6stepsを上り下りした経験から以下のように述べる。「木製の階段の下に立ったが、たしかに川山の言うように、見上げた先に目的地のない階段に、どう向き合うかためらわれた。アパート、駅、オフィスビル。どこを思い出しても階段とは階層を移動するための道で、必ず先に目的地がある。このように「昇降」だけを目的に置いたとき、人はどのように一歩を踏み出すか。そもそも、人は「昇降」だけを目的とみなして体を動かせるか。何を拠り所とするのかを問うように、階段は立ちはだかっていた。」In: 落 雅季子:
踊り手の動機を深く問う – 6stepsという装置 –」。
7. 公益財団法人日本デザイン振興会「GOOD DESIGN Marunouchi企画展「TOKYO WOOD TOWN 2040 山と木と東京」を全5会場で開催!」