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巨大な回転装置で走り、ボードに乗って這う

 やがて、赤いライトが消えても、回し車のダンサー三人は走り続ける。床にもダンサーたちが登場して踊る。並べ方と位置の工夫で、スペースを変容させる巨大な回転装置は、愛玩動物ハムスターの運動具と相似だ。機械の一部と見紛(みまご)う勢いで回し車を踏むダンサーは、「神州」の勝利を信じ滅私奉公した、先人の面影を宿す。回し車と床を俊敏に往来する女性と男性のダンサーの中には、下島もいる。褌をしめ白足袋を履く筋肉質の男性ダンサーたちが、力を誇る所作はマチスモ(男性優位主義思想)の戯画となって客席に笑いをよぶ。人体で幾何学模様のパズルを作るような組体操は、個を脱して国策に自らを委ねる通過儀礼にも見えた。白い半袖シャツと黒い紙オムツをつけた女性ダンサーたちは伸びやかに舞い、他のダンサーをもちあげるリフトを行う者もいる。同じ振付を踊るユニゾンでも、各者の個性がにじむ。

 床に並んだダンサーたちが一斉に後方を指すと、きらりと閃光が宙を射(さ)し、回し車に青、黄、桃のドレスをまとう三人の女性ダンサーが飛び乗る。人の内面にファンタジーが灯る瞬間を、可視化する演出である。元来は地位の高い女性の印であったティアラを戴く、豪奢なスタイルの三人が身を翻すと、舞台は一転。軍隊蟻に兵士の受難を重ねるシーンが、戦争に対する警鐘を鳴らす。回し車を使う場の切り替えが鮮やかで、観客は複数の時空間を高速で走り抜ける快感を味わう。

 ダンサーたちが腹ばいでキャスター付きボードに乗って床を滑る場面には、人間を一律の鋳型に押し込む全体主義への反発が溢れた。地を這う群れは、弱視で巣を持たない軍隊蟻の列を表す。敵の目を避ける兵士の匍匐(ほふく)前進にも似た、過酷な全身歩行だ。「デス・スパイラル(死の渦巻き)」という軍隊蟻の習性を、男性ダンサーが説く。行き場を失った蟻たちは同じ場所を回り続け、弱い者から死んで骸(むくろ)の山を築くのだ。別の道を探せずに全滅する蟻のエピソードは、無謀な作戦に動員された、兵士たちの悲劇を呼び起こす。

 銃声や炸裂音のたびに、ダンサーたちが顔を上げ四肢をこわばらす振付は、危険を察しながら身動きのとれない苦境を示す。捕虜となることを許さない軍部の方針は、民間にも犠牲者を増やした。軍隊蟻に扮したダンサーたちが輪になって緩慢に這う振付は、「一億総玉砕」というスローガンのもとに傷ついた人々の、痛苦も引き寄せる。

刻々と変貌するダンサーたちは、ゴシック・ホラーの趣をたたえたアクロバットも行う。
ⓒToshie Kusamoto
回し車を縦につなぎダンサーが回転。
ⓒToshie Kusamoto

 

 半獣半人にゴシック、怪奇な存在が駆ける

  人と動物が融合した生きものは、古代文学、SF、漫画などで長らく人気を博してきた。昨今は異種の動物の臓器や細胞を、人に移植する研究も進む。『代が君・ベロベロ・ケルベロス』の舞台では、人と馬がつながるギリシア神話のケンタウロスを想わせる、半人半獣キャラクターが駆けた。この半人半獣は、男女の二人組で一頭を表すので、両性具有(アンドロギュノス)ともいえよう。三人の女性ダンサーがまとう青、黄、桃のドレスに男性ダンサーが潜り、ケンタウロス風のシルエットを保つ。女性三人は80年代半ばに日本で発祥したダンス、パラパラを披露する。手と上半身の特徴をショーアップする照明は、バブル期のディスコばりにカラフルだ。ユーロビートの『ナイト・オブ・ファイヤー』(制作=ブラット・シンクレア、1997年)にのったパラパラの後、白布をかけた棒は降ろされ、ダンサーが脱いだドレスが高所に吊られた。華やかな洋装は戦中においては、敵性の贅沢品として着用を制限された。が、戦後はアメリカ文化の隆盛につれて普及。その陰で着物の市場は縮小して、伝統衣裳に応じた挙措進退(きょそしんたい)は、日本人の日常から失われていく。

 三色のドレスの下には、禁欲的な黒マントを羽織った、ダンサーたちがうごめく。肩を固定したマントなのか、首を上下にずらすと、切断された頭部が動く錯覚を招く。均質な集団は、掟を盾に他者を排除する非情さをはらむ。

戦時に人々を包んだ、高揚感や陶酔を喚起するシーン。
ⓒToshie Kusamoto