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上演から見える風景3 ヤマモトさんとレストラン「ソーレ・ミオ」

 冒頭で男女が食事をしていたレストランは、ニノが運営するヤマモトさんの名前「ソーレ」を冠した店「ソーレ・ミオ」だろう。ダンスで繋がる女と情人である男との会話にも、このニノのレストランが評判の店として出てくる。名物料理は魚のスープである。この店はヤマモトさんの魂の保管場所であり、彼女に出会うことで自分の存在を見つけたニノの存在証明でもある。

 歳の離れたパートナーのエリックと暮らし、何度も仕事を変えているニノにとって現実社会はあまり居心地の良いものではない。男性の同僚に「親友」と呼ばれるニノはおそらく性的マイノリティだろう。女優である永野が演じるため、エリックとニノは歳の差のある男女のカップルにも見えるし、子どもを持つ話をすることから男性同性愛者ではなくアセクシャルの女性かもしれない。仕事が続かずエリックが仕事先に迎えに行ったりすることから、もしかしたらニノは何らかの発達障害を抱えているのかもしれない。アパートのエントランスでかわした挨拶に始まり、自室のドアを誰に対しても開放しておくヤマモトさんの人柄に、ニノは勇気づけられていく。ヤマモトさんもまた、おそらくニノに自殺した息子ルチアーノを重ねている。ルチアーノも社会の現実に適応するのが難しいタイプだったのだろう。その息子が夢の中でそばにいて命綱を握ってくれる事で、ヤマモトさんは断崖絶壁に向かって飛べたのかもしれない。

撮影=松浦範子

 ヤマモトさんにとっては「別れ際の友達」はニノであり、ルチアーノの代わりにニノが精神的な意味での命綱を握ってくれていると感じていたであろうことは、ルチアーノをニノが演じる入院の場面でわかる。そして、ニノもその位置を占めることで自分らしく生きようとする勇気を得ている。ニノは店を実現するためにパートナーに手助けを求め、パートナーのエリックも金が解決してくれると嘯く保護者然とした態度から、ニノとの対等な関係を築こうとする姿勢に変わっていく。

 

 この劇のタイトルにある「まだいる」は、死者だけではなく生者にもむけられている。黒の空間に現れる様々な登場人物たちは、ヤマモトさんと同じく、社会の中で生きづらさを抱えていたり孤独を感じていたりする人々である。同時に彼らもまたユニークで愛すべき、他者に影響を与えうる存在である。私たちの世界にはそうした「ヤマモトさん」がたくさん「まだいる」。

 この物語は希望に満ちたハッピーエンドの物語ではない。汚染された魚は無くならないし、「こいつ豚野郎ども」という悪意と共に店の窓ガラスを破られる事件は今後も起きるかもしれない。それでもニノは前を向くだろう。アパートのドアを開けておくことで、見知らぬ誰かと知り合う機会を自分からは閉ざさないことを決意して。そしてその小さな波紋は、もしかしたら他にも波及していくかもしれない、そんな期待を抱かせる舞台であった。