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上演から見える風景2 寂しい関係を埋めるたわいのない会話

 ヤマモトさんに絡むニノとエリックの物語を主筋とすると、黒の空間では都市で生きる様々な人々の断片が描かれている。レストランで食事をする男女、バーで酒を酌み交わす男女、公園でカモに餌やりをする女たち、釣りをする女たち、セラピストと患者、電話する女、炎上する車を見つめる男女などが登場する。公家の演出では、同じ俳優を上手く配置することで、この一見何の関係もなさそうな人物たちが、実はゆるくつながり合っているのかもしれないと観客に気づかせる仕掛けになっている。

 これらのエピソードは主筋の添え物というわけではない。むしろ、そこで交わされる結論や帰着点を持たない会話が、人間の関係性の難しさを示すスパイスとなっている。レストランで語り合う親密な男女だが、女性(入澤愛)は認知症の母親の介護があって一緒に暮らすことに踏み切れない。彼の話に相槌を打ちながらもどこか上の空で、不味い魚料理にクレームをつけることもなく、唐突に盗みの嫌疑をかけられていると感じ、ウエイトレスに無実を証明してみせる。後半の場面でニノの店にリュックサックを忘れたと訪ねてくるのも彼女である。置き忘れたと思ったこと自体が勘違いだとわかって店を去るが、認知症気味なのは母親ではなく彼女ではないかとも思えてくる。

 レストランで話していた男の方はセラピスト(青木鉄仁)である。バーで男(三木元太)に金貨をプレゼントしていた女(原口久美子)をクライアントの一人として担当している。ダンスサークルで知り合った男にポンと高額な金貨を与えるその女は、幼い頃に親から売春を強要され、客から金を盗もうとして失敗した過去を打ち明け、裕福になり合法的に稼いでいる今も盗んでいるような感覚が拭えないとセラピストに訴える。彼女の話が本当かどうかはわからない。一方、金貨をプレゼントされた男は、その時価を知り、その価値が無に帰す未来を恐れる。そんな男を女はビジネスがわからないダンスが上手いだけの男と言って抱擁する。つましい生活で娘や娘婿との会食を楽しんでいた男に、彼の知らない「現実」を突きつけて、不安にさせることで女は楽しんでいるようにも見える。

 公園でカモに餌やりをする女(宮山知衣)に近づき、護身用の武器を持つことを勧める女(林亜里子)は自称運動家である。ドイツでも武器の所持は許可制で、ハンターやスポーツ競技を除き、護身用は一般人より必要性が認められる限られた人にしか許可されない。それを考えるとこれは不穏な勧誘に感じる。声をかけられた女は、抵抗せず金やその身を差し出して命を救う方を選ぶと答える。しかし彼女との出会いで、ただ耐え忍び、脅威が過ぎ去るのを待つので本当に良いのか、女の心は揺れる。

 声をかけられた女は、車のショートに対し冷静に初期対応したせいで保険が下りなかった話を公園でしている。後半では救援に駆けつけた男(二宮聡)を制止して、宮山が演じる女が全焼する車を見つめる場面がある。全焼したからといって新車を購入できる保険が下りるかはわからない。男の口ぶりからは難しいことが想像できるが、男はそれ以上関わらずに立ち去る。小さな不満が車の全焼を放置する事故に発展する。救助に来たはずの男も深く関わらないことを是とする。現代社会にありそうな情景である。

 関係性を持たないことは、宗教的社会的連帯にも及んでいる。神様のような、何か自分たちとは別な存在があることに喜びを感じると言う女(奈須弘子)と、信じないし考えを押し付けるなと言う女(洪美玉)は、それでも釣りという行為を通してひとまず良い関係を維持できているように見える。二人は川が汚染され大量の魚が死んでも、対処は他人任せで過去を美化し、かつていた魚の名前をあげながら記憶に遊ぶ。しかし汚染を知らせに来たルカ(浅井純彦)がその思い出に混じろうと別な魚の名前をあげると、そんな魚はいなかったと頑なに拒絶する。気分を害して死んだ魚の入ったバケツをその場に残して立ち去るルカと、彼について行く女。一人残された女は、汚染された魚を川に捨て、やはり立ち去る。釣りやその思い出は楽しんでも、現状を変えようとする気持ちは彼らにはないことがわかる。

撮影=松浦範子

 自分の部屋から向かいに見える引きこもりの男のことを友人に細々と話す女(宮山知衣)も、心配はしてもそのために行動することはない。黒の空間で描かれるエピソードでは、ヤマモトさんとの会食の場面でエリックが言うように「何の議論もない、互いに語り合ったり、論争したり、議論することを放棄してしまっている」「勇気をなくして押しつぶされている」人々が描かれる。それに対し、白い空間で描かれるのは、自己を肯定してくれるヤマモトさんに触発され、望みを口にし、未来を生き延びるために行動するニノである。