風景の断片から見えてくる現代社会――東京演劇アンサンブル『ヤマモトさんはまだいる』/ 柴田隆子
東京演劇アンサンブル創立70周年記念公演『ヤマモトさんはまだいる』(作=デーア・ローア、翻訳・ドラマトゥルク=三輪玲子、演出=公家義徳)が、2024年9月12日、池袋・あうるすぽっとで幕を開けた。1990年代から数々の話題作を発表し、多くの演劇賞・文学賞を受賞しているドイツの現代劇作家デーア・ローアの久々の新作である。これまで同じ三輪玲子の翻訳で『無実』(2014)、『泥棒たち』(2017)、『宇宙のなかの熊』(2023)と、彼女の作品を上演し続けてきた同劇団のために書き下ろされた。初日はスイス・チューリヒ劇場より数時間先駆けての文字通りの世界初演となり、客席には作者ローアの姿もあった1)『ヤマモトさんはまだいる(Frau Yamamoto ist noch da)』は、スイスのチューリヒ劇場(イェッテ・シュテッケル演出)でも9月12日同時初演を迎え、11月にはドイツのシュトゥットガルト劇場(ブルクハルト・コスミンスキー演出)でも上演が予定されている。。
1954年に俳優座養成所3期生を中心に創設された東京演劇アンサンブルは、東京都練馬区にあった劇団拠点劇場「ブレヒトの芝居小屋」の名が示すように、20世紀を代表するドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒト作品を多く上演する劇団として知られてきた2)東京演劇アンサンブルは2019年より埼玉県新座市「野火止RAUM」に拠点を移している。。同劇団は他では扱わないような小作品も含め、多くのブレヒト作品を紹介し、かつレパートリーとして旅公演や自主公演を継続して行なってきている3)『第三帝国の恐怖と貧困』と『ガリレオ・ガリレイの生涯』(1957)に始まり、『カラールのおかみさんの銃』(1958)、『例外と原則』(1959)、『母―おふくろ』(1960)、『パリ・コンミューン』(1962)、『男は男だ』(1964)、『第二次大戦中のシュベイク』(1967)、『コミューンの日々』(1971)、『ガリレイの生涯』(1977)、『セチュアンの善人』(1981)、『都会のジャングル』(1983)、『コーカサスの白墨の輪』(1990)、『肝っ玉おっ母とその子供たち』(1998)、『アンティゴネ』(2009)、『屠畜場の聖ヨハンナ』(2014)、『トゥランドット姫 あるいは嘘のウワヌリ大会議』(2018)など、主要なブレヒト作品を網羅している(東京演劇アンサンブルWebサイト「12. 上演リスト」)。。2006年にブレヒト賞を受賞したローアの作品に注目したのも、その流れから考えると当然だったのかもしれない。1980年代からは宮沢賢治『銀河鉄道の夜』など日本の作家の作品もレパートリーとなっていくが、ローアを含めた海外作家の作品を翻訳劇として紹介し続けている稀有な劇団と言って良いだろう。
上演から見える風景1 ヤマモトさんはまだいる
真っ白い部屋の壁をペンキで塗っているニノ(永野愛理)のところに、入居者募集の案内を見たという女性(林亜里子)が訪ねてくる。この女性に答えてニノは、入居者募集は何かの間違いだといい、「ヤマモトさんはまだここにいます」4)以下、文中のセリフの引用は、劇団東京演劇アンサンブルより提供された上演用台本による。というタイトルとなっているセリフを繰り返す。
このプロローグに続き、物語が始まる。盆の上を回転する4つに仕切られた空間は、それぞれ白と黒で交互に統一されている。大きめの白い空間は主にニノがパートナーと住むアパートの部屋となり、主筋が進行する。黒い方の空間は、野外やアパート以外の場所になる。場面の進行に合わせ舞台が回転し、登場人物は部屋の左右にあるドアを通って次の空間に移動する。終幕はプロローグと同じ場面に戻り、内覧希望の女性に対し、ニノが「ヤマモトさんはまだここにいます」と繰り返して終わる。
プロローグとエピローグに同じ場面を持ってくることで、ニノがヤマモトさんに出会い、死別してもその存在が心に残る物語が一種の回想であることがわかる。実際、ヤマモトさんとの出会いはニノの語りの中で行われる。ヤマモトさん(志賀澤子)が舞台に登場するのは、ニノがパートナーのエリック(雨宮大夢)と暮らす部屋での食事に招待する場面と、病室の場面のみである5)パンフレットによれば食事の場面が「6 製材所」、入院の場面が「15 マルモラーダ」と「16別れ際の友達」にあたる。。主筋としては、ニノの語りに現れるヤマモトさんの行動が、ニノの生活や周囲との関係性に影響を与えていく。ニノの心に占めるヤマモトさんの存在が「まだいる」という発言につながり、それが回想されていることが伝わってくる。
階段から落ちた後、入院したままアパートには戻らなかったヤマモトさんが、施設に移り「別れ際の友達」と呼ぶ介護ロボットに接したかどうかはわからない。なにしろ葬儀で彼女の死を悼んで詩を朗読するのが、架空の恋人に向けて愛の詩を書いていた男(菊池柾宏)なのだ。葬儀でもうっかり間違えて愛の詩を読んでしまう。架空の恋人に宛てた詩があるならば、亡くなったことを想定して詩を読んでいるのかもしれない。舞台を見る限り、ヤマモトさんはまだ施設かどこかにいて、回復して戻ってくるとニノは信じているとも取れなくもない6)ただし、上演台本のト書きには「ヤマモトさんが埋葬される」とある。。
伏線となるのが、プールでの祖父らしき男(二宮聡)と子ども(長濱歩)との間に交わされる、余命わずかと言われるルカおじさんをめぐる会話である。人が死んだらどこにいくのかを問う孫に、祖父は死者の魂は残された者の記憶に受け継がれ、人の生き死には身体があるかどうかではなく、記憶や思い出を共有するか否かが重要なのだと伝える。ただ、この時点では男のセリフにあるように「ルカはまだいる」のである。
記憶に受け継がれるという意味では、ヤマモトさんはその身体の生死に関わらず「まだいる」。ヤマモトさんの名前である「ソーレ」を店名につけ、彼女のドアを開けておく習慣を大切にすることで、ニノはヤマモトさんの魂の居場所を作っているのである。
註
1. | ↑ | 『ヤマモトさんはまだいる(Frau Yamamoto ist noch da)』は、スイスのチューリヒ劇場(イェッテ・シュテッケル演出)でも9月12日同時初演を迎え、11月にはドイツのシュトゥットガルト劇場(ブルクハルト・コスミンスキー演出)でも上演が予定されている。 |
2. | ↑ | 東京演劇アンサンブルは2019年より埼玉県新座市「野火止RAUM」に拠点を移している。 |
3. | ↑ | 『第三帝国の恐怖と貧困』と『ガリレオ・ガリレイの生涯』(1957)に始まり、『カラールのおかみさんの銃』(1958)、『例外と原則』(1959)、『母―おふくろ』(1960)、『パリ・コンミューン』(1962)、『男は男だ』(1964)、『第二次大戦中のシュベイク』(1967)、『コミューンの日々』(1971)、『ガリレイの生涯』(1977)、『セチュアンの善人』(1981)、『都会のジャングル』(1983)、『コーカサスの白墨の輪』(1990)、『肝っ玉おっ母とその子供たち』(1998)、『アンティゴネ』(2009)、『屠畜場の聖ヨハンナ』(2014)、『トゥランドット姫 あるいは嘘のウワヌリ大会議』(2018)など、主要なブレヒト作品を網羅している(東京演劇アンサンブルWebサイト「12. 上演リスト」)。 |
4. | ↑ | 以下、文中のセリフの引用は、劇団東京演劇アンサンブルより提供された上演用台本による。 |
5. | ↑ | パンフレットによれば食事の場面が「6 製材所」、入院の場面が「15 マルモラーダ」と「16別れ際の友達」にあたる。 |
6. | ↑ | ただし、上演台本のト書きには「ヤマモトさんが埋葬される」とある。 |