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2.空回りする右翼

 しかし、これだけでは、ハッピーエンドを祝う楽天的な物語にすぎないだろう。『あの瞳に透かされる』が舞台として面白いのは、もう一人、熱狂的で偏狭な愛国者が登場するからである。その男、右翼の高田靖(磯貝誠)は、怪しげなカンパニーの社員で、大手カメラ会社の社内の権力争いにつけこみ、社の上層部の了解を取り付けてリゾート施設に押し掛け、坂中夫妻が住む住居のリビングを仕事部屋にしてしまう。ややありえない設定にも思えるが、この高田靖という人物は、1990年代以降の日本社会の右傾化をパロディとして表現するキャラクターとして興味深い。磯貝誠の好演もあり、高田は弁の立つ実務肌の男として振舞うが、対話相手の何気ない言葉尻をとらえて愛国日本の文脈に置き換える反応の良さとその強引さ、制止されても止まらずいつまでもしゃべり続ける空疎なヴァイタリティと自力で考えることのできない情けなさなど、彼の役作りには『美しい国へ』にも共通する対米従属の保守派の空々しさがいかんなく反映されており、他の4人の登場人物の素直で誠実な性格とは対照的なリアリティーがあった。

撮影=鶴田照夫

 劇の後半では、女性たちがこの高田の手を取り、池田の首に残った火傷の跡を高田に触れさせる場面が印象深い。ケロイドに触れることは、天使の瞳に透かされた人々の心を変容させる儀式でもある。すでに曜子は池田のケロイドに触り、そのすべすべして滑らかな感触に心が洗われている。そこで曜子と小竹は高田にも池田のケロイドに触れさせ、偏狭な愛国意識を溶かし、彼の心を変えさせようとする。実際、高田はケロイドに触れ、腰を抜かして、床にしゃがみこむ。とはいえ、高田はこの劇の最後まで右翼的偏向を捨てないが、彼のかたくなな態度は将来変わる可能性があることが示されていた。

撮影=鶴田照夫

 こうした場面には、抑圧的な安倍政権が終わった今、1990年代前半に感じられたような、アジアの近隣諸国との関係を結びなおす気運がふたたび日本社会に満ちることを願う創り手たちの祈るような気持ちが表れていたように思う。

 最後に、形ばかりの取締役だった坂中は本社に戻って会社の立て直しに着手することを宣言する。社内の勢力図は変わった。コロナ禍を経て、日本社会のいたるところで保守的な体制への異議申し立ての声があがり始めている。右派勢力に忖度して表現の自由を抑圧するような行動をとっていては、これからの日本企業は利益を失う。従軍慰安婦は事実であり、軍と政府が関与したと表明し、写真展の中止を写真家に謝罪することこそ、株主の信頼を得て会社の価値を高める道である、と坂中は高田に説くのである。坂中夫妻が去った後、1980年代に開いた写真展を、キャプションに慰安所の存在を明記してもう一度開催することを決めた池田は、小竹とともに当時の写真パネルを探しにいく。こうして人々の心が未来に向かう中、中央の机の上に並んだ天使の置物に光が当たって、舞台は終わった。

 

3.新自由主義に抗して

 ベンヤミンは「歴史の天使」に書いている-「進歩という名の風に吹きつけられた天使は、そこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいと思っていても、未来の方へ引き留めがたく押し流されていく」と。作家くるみざわしんは、登場人物のひとりに「天使を追い立てる風になりたくない」と言わせている。新自由主義の風が吹きまくって久しい今、こうした風に同調せず、過去の破壊されたものを繋ぎ合わせる地道な活動が大事だ。演劇もその活動のひとつである。客席に座る一人ひとりを勇気づける舞台だった。