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 敗戦から79年の夏。戦時中日本各地に設けられた日本兵のための慰安所についての印象的な舞台をみることができた。Pカンパニー公演『あの瞳に透かされる』である。

 この作品は、過去の事実に向き合う声を黙殺する日本社会の嘆かわしい現状を変えるために書かれている。とはいえ、慰安所が存在したことを声高に主張する舞台ではない。舞台に登場するのは、過去に向き合うのを避けた経験を持つ人々である。これらの人々が自らの過去を振り返り、経験を反芻して、おおやけの場で事実を明らかにする活動を始めようと決意をあらたにする姿が描かれる。現状が変わる希望が舞台を満たすのである。

 興味深いことに、俳優の演技は日常生活と不即不離のリアリズム、物語の基調もリアリズムだったが、全体を支える枠にリアリズムを超える要素が使われていた。創り手は観客に倫理的な問いかけを行おうとしており、そのためにあえてリアリズムを超えようとしたのではないだろうか。

 たとえば作家くるみざわしんは、戦前のドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンが書いた「歴史の天使」(『ベンヤミン・コレクション1』p.653、ちくま学芸文庫)を踏まえて、天使の形象を挿入している。とはいえ実際に天使が飛んできたり、天使の姿が幻視されたりするのではなく、登場人物の一人がフリーマーケットで天使の置物を買い求めるにすぎない。およそキッチュな調度品なのだが、この天使の置物には倫理的なまなざしが寓意化されており、その瞳を意識した人々は、ひとりの人間としての心の声にしたがい、歴史に向き合う一歩を踏み出すのだ。

過去の自分を振り返り、未来に向けて自分を変える役柄を丁寧に演じた俳優陣に好感を持った。保守的な日本社会が変わる希望が示されている。少し内容に踏み込むが、具体的に述べてみよう。

 

1.過去を振り返る人々

 とある海沿いの小さな町の、大手カメラ会社が所有するリゾート施設で物語は進行する。やや詳しくなるが、物語の設定を記そう。

 リゾート施設があった場所には、かつて戦時中、日本兵のための慰安所が建てられていた。リゾート施設には、カメラ会社の取締役坂中正孝(内田龍磨)が妻の曜子(木村万里)とともに住んでいる。取締役といっても、月に1回、リゾート施設のある海沿いの小さな町から上京して役員会に出るだけの形ばかりの役職である。

 数年前、本社の広報担当だった坂中は、元従軍慰安婦の女性たちを撮影した写真展を企画したが、排外主義者たちの抗議を恐れて、出展予定だった韓国人写真家の同意を得ずに写真展の中止を決めた。そのため写真家から契約違反で訴えられて裁判では敗訴となり、結局写真展は開催されたが、坂中は会社を守った功績を認められて形ばかりの取締役となり、社所有の地方のリゾート施設を与えられて、妻とともに住むことになった。こうした物語の設定には、2012年に起きたニコン慰安婦写真展中止事件が踏まえられていよう。

 リゾート施設には、管理人の池田千江(藤夏子)と池田に依頼されて建物の修理を請け負う元医師の小竹さなえ(木村愛子)が出入りしている。

 この町に生まれ育った池田は、1945年、9歳のとき、空襲で首に火傷を負い、その跡がケロイドとなって残っている。彼女は町に日本兵のための慰安所があったことを見て知っている。1987年、歴史の風化を恐れた池田は、土地の土建屋が慰安所跡に建てた豪華なサロンで戦時中の写真を展示する写真展を開いた。この写真展に彼女は慰安所の写真も出展したが、新聞社の取材をうけたとき、この土地に慰安所があったことには触れず、展示写真のキャプションでも慰安所の存在は出さなかった。まだ保守的な雰囲気が濃かった1980年代、小さな町の人間関係のなかで生きねばならなかった池田は、おおやけに慰安所に言及する勇気を持たなかったという。

 劇の主要な筋は、坂中と池田という、ともに慰安婦の存在と正面から向き合うことができなかった二人が、それぞれ自分を振り返り、おおやけの場で慰安婦の存在を主張する強さを得るまでの過程を描く。そして、二人の振り返りを支えるのは、坂中が町のフリーマーケットで買い集めた天使の置物なのだ。その理由は、先にも述べたように、あくまでもキッチュな置物にすぎない天使には倫理的なまなざしが作家の手で寓意化されているためである。天使の瞳を意識した坂中も池田も、心の声にしたがい、それぞれ慰安婦の存在と正直に向き合い、それを他人に対して堂々と言えるようになる。

 坂中と池田の物語以外に、坂中と妻の夫婦関係、小竹さなえの存在など、いくつものストーリーが存在している。これらが絡み合いながら、徐々に全体の骨格があきらかになり、人々は死者たちをも寓意する倫理的な視線(天使の置物)を介して、日本という共同体の負の歴史に向き合うことができるようになる。

Pカンパニー ~シリーズ罪と罰 CASE12~『あの瞳に透かされる』
作=くるみざわしん
演出=冨士川正美
2024年9月4日(水)~8日(日)/シアターグリーン BOX in BOX THEATER
撮影=鶴田照夫