痛みを抱える家族が共感をよぶフロリアン・ゼレール作品――『Le Père 父』『Le Fils 息子』『La Mère母』/桂 真菜
心の病を恥じる文化を省みさせる
フロリアン・ゼレールが著した家族三部作、『Le Père 父』(2012年、日本語上演2019年)『Le Fils 息子』(2018年、日本語上演2021年、再演2024年)『La Mère 母』(2010年、日本語上演2024年)は、親子や夫妻の軋轢を追う(すべて東京芸術劇場企画制作、齋藤敦子訳、ラディスラス・ショラー演出)。フランス語から多くの言語に訳されたトリロジーのうち二作品を、ゼレール自ら監督と脚本(クリストファー・ハンプトン共同脚本)を手がけた英語の映画『ファーザー』(2020年、第93回アカデミー賞を脚本賞と主演男優賞の二部門で受賞)と『The Son 息子』(2022年)には、戯曲に書かれていない場面が挿(はさ)まれる。観客を触発する三部作の表現について、『La Mère 母』『Le Fils 息子』の同時上演にあわせ2024年春に初来日したゼレールのインタビューを織り込みながら考察していく。
三部作で扱われる家庭は経済的には安定しているが、家族間には波風が絶えない。筆者は『Le Père 父』の観劇中に、アルツハイマーを患うアンドレ(橋爪功)の視点を分かち合う経験を得て、ゼレールの手腕に驚いた。81歳のアンドレの奇妙な言動から記憶が霞むもどかしさが滲むたびに、客席で焦燥をつのらせた。娘アンヌのパートナーに平手打ちされるシーンでは、アンドレを襲う衝撃に震えつつ、暴力を実際に受けたのか、妄想か、迷いがよぎる。登場人物の惑乱に共振して、劇中の虚実の境が溶けるスリルは、『La Mère 母』の主婦アンヌや『Le Fils 息子』の高校生ニコラと彼の父で弁護士のピエールが自制を失う折にも味わった。三部作の少しずつ変わる同場面の反復は、各人物が別方向からものごとを捉える様子とも解釈できる。反復にはひとつの事象が主観と客観で意味を変えることを、鑑賞者に認識させる効果もある。時空間と事象をパズルのように編む作劇は、ファンタジーに流れず、移ろう状況に沿って揺らぐ人間の内面を映す。高齢のアンドレも思春期のニコラも、不安がふくらむほど家族との摩擦が増え、居場所を失う。寄る辺ない人物に焦点を当てる意義を、ゼレールは説く。
「ショックや疲労、あるいは加齢のために、精神のバランスがくずれることは誰にでも起こりえます。絶対に心を病まない人なんて、いるでしょうか? 気持ちが弱った人のストレスを増幅し、快復を妨げる一因は心の病を恥じる文化です。自身および親族の不調を隠す態度は、罪悪感や無知、そして世間体から生まれます。私の作品がメンタルヘルスについて、観客が率直に話し合う契機になれば嬉しいですね」
自身と家族の実態を、直視する勇気を呼び覚ます
精神疾患に対する偏見に抗うゼレールは、「家庭は安心してくつろげる場」等の常套句にも反旗を翻す。その志向は「親はどの子も可愛い」といった建前を覆す箇所にも明らかだ。『La Mère 母』のアンヌは優しさが薄れた夫ピエールへの不満を埋めるように、息子ニコラを「私の愛しい人」(第2幕第1場)と呼んで甘える。息子の恋人を敵視するほどの愛着に引き換え、「感じの悪い」(第1幕第1場)娘サラには無関心。子に対する親の不公平は、『Le Père 父』のアンドレが、アンヌより彼女の妹を気に入っていたところにも示される。家族に亀裂を入れる贔屓や嫉妬などの情念を象徴するのは、壁がスライドして変化を遂げる美術(エドゥアール・ローク)。パネルが動いて図形を生む装置が、内奥に積もった欲望を覗く窓をイメージさせる。登場人物が本音をぶつける応酬は、辛辣かつ滑稽で客席からは笑いが湧く。罵詈雑言も飛ぶバトルは、鑑賞者を理想的家族像の抑圧から解き放ち、自身と家族の実態を直視する勇気を呼び覚ます。
三部作の人物に共通の名をつけたのは、家族の危機を特殊化しないための案に相違ない。各戯曲で扱われるのは別の家族だが、中心にいる女性の名は常にアンヌ。アンヌの年齢や立場は作品ごとに異なり、息子ニコラも『Le Fils 息子』では17歳、『La Mère 母』では25歳だ。ニコラの父はピエール。この仕掛けで三部作の家族は観客の脳内で重なり、「どこにでもいる人」という印象を与える。日本語上演では三部作のアンヌを若村麻由美、『Le Fils 息子』『La Mère 母』ではニコラを岡本圭人、実父の岡本健一がピエールを演じる配役が、各人物への親しみを増す。愛に渇くアンヌ役の若村麻由美は、ヴィヴァルディ『四季』をマックス・リヒターが再作曲した音楽の流れる『La Mère 母』で、亡霊の妖しさをまとう。凡俗を嫌うニコラを演じる岡本圭人は、無垢と陰翳を備える。勤勉な野心家ピエールに扮する岡本健一は、誇らかな成功者から自責に泣く挫折者までの振幅を、全身で表す。同じ俳優がシリーズを通じて同名の役を演じる企画を、ゼレールは讃える。
「東京芸術劇場の配役は、作品の説得力を高めます。俳優たちは高いレベルでキャラクターを把握できるから、登場人物の行動を観客は理解しやすくなる。実の父と息子がピエールとニコラを演じる過程では、家族の複雑な感情が醸され、劇世界が豊かに弾むでしょう」