脱人間中心主義を超えて〈ふじ〉の世界へ ――エコロジー、トランスヒューマン、アニマリズム 「ふじのくに⇄せかい演劇祭2024」/塚本知佳+本橋哲也
食と語り――『楢山節考』(上演台本・演出=瀬戸山美咲)
『かちかち山の台所』が食を通じて社会構造を問いなおすとすれば、『楢山節考』の登場人物たちの大きな関心の一つも農村共同体における食(と、その欠乏)にある。姥捨てを題材とする深沢七郎の小説を原作とし、瀬戸山美咲が上演台本を書き、演出した本作は舞台芸術公園内「楕円堂」で上演された。その名の通り楕円の空間を持つこの劇場は、観客席へ行くために薄暗い階段を、地下に潜るように降りていかなくてはならない。瀬戸山は、この奈落の底のような暗い空間構造を生かし、その上で、客席の椅子を取り払い、観客を床に座らせることで、観客の身体も可能な限り低く降下させていく。それは同時に「山また山」の続く風景の中で展開される主人公たちの道行きを想像的に体感させることともなるのだ。
瀬戸山はこの小説を戯曲化するのに、登場人物をおりん(森尾舞)とその息子辰平(西尾友樹)、その妻・玉やん(浜野まどか)の三人に限定し、それぞれに自分の台詞だけでなく筋や情景や心理描写を語らせる。その仕掛けによって、三人が別々の人格でありながら同時に、この農村の共働性/共同性をも象徴することが演劇的に示唆されるのだ。装置はなく薄暗い中で人物たちだけにわずかに明かりが当たるという凝縮された空間を作り、ほとんどの時間で中腰以下の姿勢を保った俳優たちは無駄な動きを排除し、時に体を密着させ、身体そのものも一個人ではなく共同「体」であることを示す。光も動きもあらゆるものを極限まで削ぎおとした舞台。ここでの共働とは言うまでもなく、なまなかの共感を受け付けない、あらゆる物理的条件が過酷に削がれた環境にある寒冷地の山村における共苦の現実であり、その文化的・経済的な帰結が、人が70歳に達すると「楢山さん行き」を自ら決断すべきであるという暗黙の掟となってこの村を支配している。
瀬戸山の『楢山節考』が明白に拒絶するのは、私たち現代人が「姥捨て」の風習に感じがちな温情主義である。瀬戸山は演出ノートで「どちらがいいというわけではない」として、次のように書いている。「人と人の距離が近い楢山節考の世界では、親と子の思いは引っ張り合い、両者のあいだの糸はぴんと張っている。だからこそ、お山まいりのその日まで、子は自分の親を「生きているもの」として扱う。彼らが最後に目にする親は、死んでいない。「生きているもの」として親を送る儀式こそが楢山まいりなのかもしれない。/一方、現代では多くの高齢者が生きているうちに集団から切り離される。肉体は生きているが、思い出されることが減り、社会的には「死んでいるもの」に近づいていく。個人の人生の充実が大事にされる現代において、親を切り離すのは合理的な選択である。」1)瀬戸山美咲「『生きているもの』として」『劇場文化 楢山節考』(SPAC、2024年4月)3頁。
今回、客席の椅子が外されて観客の視線が低くなったことで、現代人が陥りがちな安易なヒューマニズム的な観点は、俳優と観客がともに地を這う感覚を共有することで退けられる。この舞台においては物理的な視線と意識のまなざしの相互性が、思想的な批判性の強度を支えているのだ。『楢山節考』では労働力たりえない老人を棄てるという習慣は男性の老人もその対象となっているが、おりんの台詞から読み取れるのは、若い女性が嫁いでくることは、食事から家計、生殖から育児まですべての家庭内労働をする新たな女性が現れたということであり、その時点でおりんの役割は終わったということだ。その文言だけ取れば、まさに女性を道具として使う家父長制度の悪しき価値観にほかなるまい。しかし瀬戸山の批判的な意識はそこではなく、そのような習慣を保持することで山村共同体を維持してきた人びとの強固な生きること、生に対する意志への畏怖に基づいている。だからこそこの舞台は、安易な感情移入を許さず、この三人の生き様を淡々と描いていくのだ。
70歳を迎えたおりんは、自ら歯を折って最早食べられないことを他人にアピールするほどに元気旺盛であり、イワナのありかと捉え方を玉やんに伝授し、家族全員が冬を越せるほどに豊かな食料を備蓄しておくほど、生産力と生命力にあふれた女性である。そのおりんのエネルギーを体現するかのように、森尾の演技からはありがちな老人性は排除され、そこからはおりんが自ら望んで「お山に行く」意志と聡明さが醸し出される。この「お山に行く」というのは姥捨てのことであるが、この作品では「姥捨て」という言葉からは読み解けない老女の自律性が強調される。「捨て」られるのではなく、自分の意志で―それはある共同体としての信仰と言ってもよいかもしれない―集落から離れて山へと向かうというおりんの意志に瀬戸山は目を向けるのだ。おりんを中心に、辰平と玉やんがともに身体を寄せ合い、体温を伝え合い、山の生活には個人生活などありえないことを即自的な身体性で具現化するとき、食料の量と命(身体)の量が比例するという、当然でありながら日常は考えずにいられる「動物」としての現実が突きつけられるのだ。
『楢山節考』はそのタイトルの通り、あらゆる下世話な日常の噂話から、「塩屋のおとりさん運がよい/山へ行く日にゃ雪が降る」という姥捨ての話まで歌(節)で語られる。しかし本作では俳優たちに歌わせることはせず、チェロの生演奏(演奏=五十嵐あさか)がある意味で歌の代わりとなっていると言えよう。低く響く弦楽器ならではの緊張感は、おりんや辰平たちの「ぴんと張」られた関係、さらに生死にかかわるおりんの強い意志を表しているかのようである。おりんのお山行きへの意志と気迫に叱咤されるかのように、辰平はおりんを背負って楢山へと向かう。この場面でも俳優たちは最小限の動きで山への道のりを表現する。すべての準備を終え、何も思い残すことなく、一言も語る必要を感じていないおりんは、舞台中央で何かに祈るように首を少し垂れて両手を合わせる。姥捨ての掟では、山では両者ともに何も語ってはいけない。しかしこの舞台では、辰平に自らの歩みや心象や風景を静かに語らせる。死に直面している人物の沈黙と、これからも生きていく人物による語りが対峙する。
辰平 ⽬の前におりんが坐っていた。背から頭に筵を負うようにして雪を防いでいるが、前髪にも、胸にも、膝にも雪が積っていて、⽩狐(しろぎつね)のように⼀点を⾒つめながら念仏を称(とな)えていた。
⾠平 「おっかあ、雪が降ってきたよう」2)『楢山節考』の台本は、瀬戸山氏からご提供いただきました。記して感謝申し上げます。
(※中略)
⾠平 「おっかあ、ふんとに雪が降ったなァ!」
そう叫ぶと脱兎のように駆けて⼭を降(くだ)った。⼭の掟を破ったことを誰かに知られやァしないかと⾶び通しで⼭を降った。
お山に行く日に雪が降ると運がいいというのは、雪が降ってくれば、それに包まれたおりんの身体は、空腹や痛みに悩まされることもなく、静かに眠って旅立てるからだろう。辰平に戻るよう手を前に出して振る以外にまったく動かないおりんは、静謐のうちにまるで観音様のように不動となる。この辰平の語りにあるのは、情景を描写する小説的語りと、台詞を告げる演劇的騙りとの共振だ。しかも、そこでは「白狐」という動物の形象と、ひたすら世界を白一色に覆っていく「雪」の白さとが、暗い空間の中で私たちに光のイメージを思い起こさせる。このとき私たちが目撃しているのは、望み通りの静かな死を迎えようとしている動物/人間の姿であると同時に、生と死の境界を超えた存在の敬虔な姿である。そこでは上下の階層関係に支えられた感傷的なヒューマニズムも文化社会学的な風習批判も無縁であり、私たちはただそこに在るおりんの静かな身体に打たれているほかない。「脱兎のように」山を下って行った辰平。人の形容に動物が使われるだけの人と動物との近接性が、まだ『楢山節考』が書かれた時代にはあったのであろう。2024年の現在、私たちの言葉からどれほど「動物」はいなくなっているだろうか?
註
1. | ↑ | 瀬戸山美咲「『生きているもの』として」『劇場文化 楢山節考』(SPAC、2024年4月)3頁。 |
2. | ↑ | 『楢山節考』の台本は、瀬戸山氏からご提供いただきました。記して感謝申し上げます。 |