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17歳時だけを描くジュークボックス・ミュージカル

 一方で『ヘルズ・キッチン』は、グラミー賞を16回も受賞している世界的シンガーソングライター、アリシア・キーズの曲を使って彼女の人生を描いた自伝的ミュージカルだ。人気アーティストの歩みを既成曲で綴るジュークボックス・ミュージカルとしては、フォー・シーズンズを描く『ジャージー・ボーイズ』や、キャロル・キングの『ビューティフル』などが成功作として知られているが、『ヘルズ・キッチン』はそれらとは大きく異なる点がある。主人公「アリ」が17歳だった数カ月だけが描かれることだ。ただし全24曲のうち12曲は新たに書き加えられた曲なので、「半ジュークボックス・ミュージカル」と言えよう。(クリストファー・ディアス作、マイケル・グライフ演出)

 ヘルズ・キッチンとはニューヨークはマンハッタンのミッドタウン・ウエストに位置し、劇場街の西側に当たる界隈。今でこそ、多国籍のレストランが集まる飲食街として知られているものの、20世紀後半には荒れた街だった。母親のジャージーは働くシングルマザーで、アリと共にマンハッタン・プラザのアーティスト・ハウスに暮らす。ダブダブのジーンズを穿いた17歳のアリは、同じ建物内にたむろしていたバケツ・ドラマーのナックに惹かれる。だが、過保護な母は彼との接触を禁じる。抑圧されたアリが歌うソロ「ザ・リヴァー」(新曲)が清新で伸びやか。近くを流れるハドソン川に託して、川を遡るように何かを始めたくてたまらないと、ややハスキーな声で野太く歌い上げる。再びナックにアプローチしたことで母親と衝突し部屋を飛び出したアリは、建物の音楽室で中年のライザ・ジェーンがピアノを弾いているのに遭遇し、その音に夢中になる。その電撃的な感触を歌った「万華鏡」(新曲)が曲調も斬新な代表曲。こうしてアリは音楽教師に出会い、才能を見出されてゆく。

 その一方で、アリとナックの関係はもどかしい。ナックもオリジナル・キャストはむさ苦しいタイプ(まもなく交代)で、二人のシーンは冴えない。それでもここには10代女性の不器用な恋愛がリアルに表現されている。アリはナックに振られてもしつこく追い続け、ついに彼のアパートで寝る。さらに母が不在の際に自宅のソファで抱き合い、そのまま眠ってしまう。その逢引きの場で親友のジェシカらが周囲で歌う「あの娘は燃えている」が焚きつけるようで面白い。ところがそこに母親が帰宅し、ナックに「彼女はまだ17歳だ」と言い放って警察に通報してしまう。

 それに激怒したアリは母と絶交し、断固として口を利かなくなる。母がアリに対してミュージシャンと付き合わないよう厳命するのは、別れた夫ディヴィスがピアニストであったからだ。だが閉口した彼女は窮余の策として元夫を呼び出す。このディヴィスが飄々とした傑物で、メロディアスなナンバーを計3曲弾き語る。(1幕ではジャージーの回想の中で「王でさえも」=既成曲=を歌い、2幕では久々に再会したアリに「If I Ain’t Got You(もし君がいなかったら)」=既成曲=を聴かせて慰める)。一方、ピアノ教師のジェーンは1幕ラストを飾る「死ぬ完璧な方法」(既成曲)で、息子が撃たれた母親の悲しみを男声のような低音で切々と歌あげる。ライザを演じたケシア・ルイス(トニー賞助演女優賞)の深みを帯びた歌唱が圧巻だ。

 若いアリの憧憬、愛、挫折そして才能の開眼が、ごく短い期間に凝縮されて表現される。彼女の生涯を決定づけることになったヘルズ・キッチンでの原点を見つめたミュージカルなのだ。アリを演じたマレア・ジョイ・ムーン(同主演女優賞)は、ブロードウェイ・デビューながら瑞々しい演技と訴求力のある歌唱力を見せつけた。ただし、若者の動線で突っ走ると物語構造が野放図になるため、この作品では全体に2つのタガがはめられている。一つは、母親への反目に始まり和解に至るまでのプロット。もう一つは、アリにピアノを教えるライザ・ジェーンとの出会いから死別までである。初めてライザがアリに出会ったとき、ライザは「私は時間が限られている」と言う。そして彼女は1幕ラストで「死ぬ完璧な方法」を歌う。これらは、2幕でのライザの急変を唐突に思わせないための伏線となっている。その恩師の死を乗り越えて、アリはミュージシャンとして歩み始めるのだ。

 ライザの葬式に父のディヴィスが現れてピアノを弾き語る。そこへ死者であるライザが現れて歌い継ぎ、さらにアンサンブルのダンスが加わる「ハレルヤ/水のように」(新曲)の場面が最大の見どころだろう。続く場で母ジャージーとアリが和解する「ノー・ワン」(既成曲)がメロディアスな佳曲。最後にアリが歌う「エンパイア・ステート・オブ・マインド」(既成曲)はアリシア・キーズの中でも最も知られた曲の一つだが、素晴らしいラストシーンを形成する。アリは初めてピアノを弾き語りし、未来に向けたエンディングとなっている。ここまで舞台背景に投影されていたマンハッタンの街並みはずっとモノクロだったが、ニューヨークの素晴らしさを歌いあげるこの曲で初めてカラーの美しい夜景が映し出され、さらにオレンジ色と青色の照明が艶やかに交錯する。アリの一皮むけた成長と呼応するように、くすんだヘルズ・キッチンのアパートがニューヨークの街の輝きへと変じてゆく同期構造が出色だ。

『ヘルズ・キッチン』のラストシーン。中央が主役のマレア・ジョイ・ムーン
©Marc J. Franklin

 本作は既成曲を使っているためトニー賞楽曲賞の候補には入らなかったものの、人気アーティストのヒット曲が満載とあって楽曲のよさは圧倒的だ。清々しい成長物語として優れている上、俳優も傑出しており、私の好みで言えば今年度のベストはこちらの方である。

 ではなぜ、トニー賞では『ジ・アウトサイダーズ』が作品賞を受賞したのだろうか? 

 

「社会性」に傾斜するトニー賞

 それに言及する前に、近年のトニー賞の傾向を押さえておく必要がある。トニー賞はかつてのように傑出したエンターテインメントよりも、LGBTQや移民などのマイノリティを描いたり、格差・分断をテーマに据えたりといった、今日的な問題意識の高いシリアスな作品を選ぶ傾向が顕著になっている。その文脈に照らせば、『ジ・アウトサイダーズ』は「持てる者と持たざる者」の分断を鮮烈に描いており、今日に通じる格差社会の底辺でもがく若者たちの仮借ない姿が痛々しく表現されている。さらにブロードウェイ経験の少ない若手が多く出演し、体当たりの演技を見せたことで迫真性が増した。近年のトニー賞の好みに合致した内容だったことは間違いない。

 それに対して『ヘルズ・キッチン』は、大スターであるアリシア・キーズを描く「ジュークボックス・ミュージカル」であるとの印象が第一に来る。もとよりジュークボックス・ミュージカルに対しては、演劇というよりも音楽中心それも商業主義、といった偏見が拭えない。さらにジュークボックス・ミュージカルはまず既成曲を基にストーリーを構成することから「台本のご都合主義」への批判が付いて回る。ミュージカル自体が、歌を中心に構成していることから、台本が多分にご都合主義の名作がこれまでも少なからずあったにもかかわらず、である。そうした流れの中で選ばれたのが『ジ・アウトサイダーズ』の方なのだろう。

 ちなみに今年度のほかの演劇賞におけるミュージカル最優秀作をみると、

 ・ドラマ・リーグ賞――『ヘルズ・キッチン』

 ・アウター・クリティック・サークル賞――『サフス』=後述

 ・ドラマ・デスク賞――『デッド・アウトロー』(オフ作品)

 となっており、『ジ・アウトサイダーズ』を「ベスト」に選んだのは、ほかならぬトニー賞だけなのだ。ちなみにトニー賞は全米の演劇関係者・評論家ら800人以上の投票によって選ばれる。今回も、「社会派」に舵を切ったトニー賞の面目躍如たる結果だったと言えようか。

 最後にアウター・クリティック・サークル賞の最優秀を受賞した『サフス』について触れたい。これは1910年代における女性の参政権をめぐる戦いを描いた群像劇で、やはり社会派の作品に当たる。トニー賞でも楽曲賞と台本賞を受賞した。特筆すべきは、このミュージカルは台本・楽曲(作詞作曲)・主演をすべてシャイナ・トーブという一人の女性がなしたという点である。歴代のトニー賞受賞作の中でこの三つを一人でなしえたのは、『ハミルトン』(2015年)のリン=マニュエル・ミランダ以来、二人目となる。彼女は弱冠35歳であり、新たな才能の出現を喜びたい。なお、『サフス』と『ヘルズ・キッチン』はいずれも、オフ・ブロードウェイの劇場であるパブリック・シアターの製作によるもので、オフでの初演後、オン・ブロードウェイに上がってきた作品であることを付記する。