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 今年4月から、私は所属する大学のサバティカル(研究休暇)でニューヨークに滞在している。これまでも毎年ニューヨークを訪れていたが、居住したのは初めてだ。おかげで今年のトニー賞レースでは、対象となるミュージカルの新作・リヴァイバル作の大半を見ることができた(むろん3月までに閉幕した数作は間に合わなかった)。なので、4月30日にトニー賞ノミネート作が発表される前にどの作品が候補に入るかといった予測が立てられたし、6月16日のトニー賞発表までに主要部門の受賞予想も試みた(両者はフェイスブックで公開)。今年度は『ヘルズ・キッチン』(13部門ノミネート)と『ジ・アウトサイダーズ』(12部門ノミネート)との争いとなったが、後者に軍配が上がり、結果的に近年のトニー賞の傾向と違わぬものとなった。

 

労働者階級と上流階級の若者グループが対立

 作品賞(ベスト・ミュージカル)など4部門を獲得した『ジ・アウトサイダーズ』は、米国の作家S・E・ヒントン(女性)が高校時代に執筆した同名小説(1967年)と、フランシス・F・コッポラ監督による同名映画(1983年)に基づく。若者の疎外感を描破した小説として現代でも「聖典」とされる物語だ。(アダム・ラップ&ジャスティン・レヴァイン作、ジェイムズタウン・リヴァイヴァル&レヴァイン音楽、ダニャ・テイモア演出)

 主人公の14歳のポニーボーイ(ブラディ・グラント=トニー賞主演男優賞ノミネート)がノートを綴りながら、1967年にオクラホマ州タルサで起きたことを語り始める。彼は三人兄弟で、最近、両親を交通事故で亡くした。長男ダレルが親代わりとなり、次男のソーダポップは最近失恋して落ち込んでいる。彼ら労働者階級の若者は「グリーサー」というグループに属しており、上流階級の若者からなる「ソックス」と対立している。現に最近も親友のジョニーが襲われたという。

 まもなくポニーボーイもソックスに襲われ、激しく顔を蹴られて気絶する。暗転後、彼は仲間たちに介抱されている。郡の刑務所から出てきたばかりのリーダー、ダラスはここでポニーボーイを正式にグリーサーの一員に認める。その後、ジョニーが両親の派手な喧嘩のせいで家に入れないでいるのをダラスが見かける。彼は護身用にとジョニーにナイフを渡すが、これが後に悲劇を呼ぶ。翌金曜日の夜、ポニーボーイは仲間らとドライヴインに出かけ、ソックスのリーダーであるボブの彼女シェリーと仲良くなる。ここで二人は「夜通し話せた」をデュエットし、対決ものの枠組みが整う。

 このあと、門限に遅れて帰宅したポニーボーイに長兄ダレルが平手打ちを食らわす。ポニーボーイはジョニーと家を飛び出し、樹の上で抒情的な「タルサから遠く離れて」をデュエットして遠い世界を夢見る。ところが、そこをボブが率いるソックスに襲われる。ボブは、自分の彼女がポニーボーイと親しくしているのを見せつけられ、腹の虫が治まらなかったのだ。ジョニーは数人にリンチされ、ポニーボーイは水たまりに顔を突っ込まれ、溺れさせられそうになる。それを見たジョニーは敵の手を振りほどいてボブに突進する。と、ナイフがボブの脇腹に突き刺さっている。焦った二人はダラスの許に行き、廃教会へ潜むようにと指示される。3人が「走れ、走れ、兄弟よ」を歌い、1幕が閉じる。

 ポニーボーイとシェリーが仲良くなったのは、対立する相手がそれまで信じ込まされていたものとは違っていると気づいたからだ。つまり二人は両グループを和解に導くキーマンになり得た。ところがそこに3つの不運な出来事が重なる。親代わりを任じていた長兄の叱責、樹の上での親友とのデュエット、リーダーから護身用にもらったナイフが致命傷を負わせたこと、である。彼らが優しく濃い関係にあったことが悲劇を招いたのだ。

 第二幕。町では殺人犯捜しが始まり、リーダーを殺されたソックスはグリーサーに決闘を申し込む。一方、ポニーボーイとジョニーは廃れた教会に身を潜めていた。子供らが教会にピクニックに来た時に、ポニーボーイが無造作に捨てた煙草が引火して火事になる(本火の迫力!)。二人は子供らを救うため炎に飛び込む。このおかげで彼らは地元の英雄として新聞に載るが、ポニーボーイはほぼ無傷で済んだもののジョニーは重症を負っていた。シェリーが病室に来て、二人の殺人容疑は晴れたと伝え、決闘で戦わないようにとポニーボーイに懇願する。だが決闘では総力戦となり、グリーサーが勝つものの、その足で病院にジョニーを見舞うと彼は息を引き取る。弟分を失って動揺したダラスは線路まで走り、列車に轢かれる。

 親友とリーダーを失い傷心の日々を過ごすポニーボーイの許に、病院で働き始めたシェリーが訪れ、服に残っていたジョニーの書置きを渡す。ここで死者であるジョニーが登場して、理想を歌った「黄金のままで」(佳曲!)をしっとりと聴かせる。そのあと、兄弟がポニーボーイに訊く、ノートに何を書いているのかと。それは、この劇の冒頭のナレーションであった。こうして物語は回想の入れ子に入り、幕を閉じる。

 

『ウエスト・サイド・ストーリー』を越えて

 ここまで見てきたように、このプロットは『ウエスト・サイド・ストーリー』(1957年初演)と酷似している。この初演年は本作の原作小説よりも前である(シェイクスピアの原作についてはここでは言及しない)。対立する若者グループの抗争という枠組みは言うに及ばず、主人公のポニーボーイが敵方のリーダーの彼女(『ウエスト~』ではリーダーの妹)と恋仲になる点も重なる。グループ内の結束力の高さや決闘へとエスカレートする展開、それをヒロインが止める点も同じだ。ポニーボーイとジョニーが遠い世界に憧れる「タルサから遠く離れて」をデュエットする場も、『ウエスト~』でトニーとマリアが彼岸を夢見て踊る「サムホエア」を想起させる。

 しかしながら、舞台の印象は相当異なる。最も違う点は、『ウエスト~』において抗争シーンはもっぱらジェローム・ロビンズ振付によるダンスで描かれており、つまりデフォルメされて表現されるのに対して、本作ではリアリズムで活写される点だ。格闘シーンは凄まじく、けが人でも出そうな勢いだ。流血も生々しい。舞台には砂利のようなものが敷き詰められており、喧嘩のたびに跳ね上がって埃っぽく見える。ザラリとした肌触りの非情な世界なのだ。カントリー・ポップを主体とする楽曲では人物の思いや対話がもっぱら描かれ、二つのグループがアンサンブルとして踊るシーンも多いが、ストーリーを進めるナンバーは少ない。筋立ては主にストレート・プレイで進め、楽曲とダンスで彩る趣向だ。

 そして最も優れた点は、若者たちがドラマの時間を疾走する勢いのよさだ。十代の若者を演じる俳優たちは二十歳以上だが半数がブロードウェイ・デビューとあって、やや粗削りながら新鮮さが溢れる舞台だった。上流階級と労働者階級とに「分断」された世界で、友情や兄弟愛に支えられながら必死にもがく姿は胸を打つ。主人公のポニーボーイは本来、ディケンズの『大いなる遺産』を愛読したり詩を朗読したりする内省的な少年で、シェリーに向かって夕日が沈むのを見るのが好きだとも言う。そんなナイーブな少年が苛烈な世界に晒され、傷つき、そして最後には再生へと向かう姿には説得力がある。