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占領下の価値観

撮影=松本成弘

 双子の母親はまだ若くてきれいな女性なのだろう。新しい恋人を見つけ、子をなしていることからも想像がつく。彼女の子である双子もきれいな子どもたちであることは、司祭館の女中の言葉からもわかる。もしかしたら祖母も美しい女性だったのかもしれない。しかし戦争という暴力が絶対的な力をもつ世界にあって、美しさは搾取の対象にしかならない。平時の常識が通用しない世界にあっては、暴力に耐える力を身につけ、搾取されずに自らを養う力を身につけなければならない。祖母は戦時下、特に占領下を生き抜く価値観を身につけた人物に見える。

 双子たちは占領下での厳しい生き方をこの祖母から学ぶ。祖母は街の人から夫を殺した「魔女」と呼ばれていること、双子にもすぐに暴力をふるい、自分の体を洗うこともなく臭く汚いことが双子の口から説明される。つまり「事実」として語られる。祖母を演じる佐々木ヤス子はそれを身体の動きに引き受け、汚さは鼻を手で拭うような所作の反復に、粗暴さや図太さはかがめた背に足を引きずって歩く動作に漂わす。祖母は娘を「雌犬」と呼び、双子を「雌犬の仔」と呼ぶ。夫の墓を訪れても口にするのは呪詛のような口汚い呼びかけである。双子はただその言葉を聞いている。言葉は名付けを行い、観客はそれをそのようなものとして聞く。

 だが、この言葉や呼びかけは、必ずしも「真実」とイコールではない。祖母もまた「雌犬」として夫の暴力に晒されていたのかもしれない。口汚い言葉ばかりを投げつけられ、そうした言葉でしかコミュニケーションを知らないのかもしれない。言葉にせよ振る舞いにせよ、祖母は双子を慈しむ様子は見せない。ただ、いかに生きるかをその身をもって示すだけである。双子はそこから学ぶ。彼らは祖母のことを「魔女」ではなく、「おばあちゃん」と呼ぶ。自分たちだけの場所を確保するために梯子に細工し祖母を転落させたのは双子である。彼らは祖母を慕うそぶりは見せない。他者に依存せずに自分で生き延びる術を祖母から学んでも、双子と祖母の関係は対等である。

 その学びの成果を示すのが拷問の場面である。官憲に捉えられ、執拗な拷問を受け、跳ね、崩れ落ちる身体を舞台奥で達矢が演じる。一方で、繰り返される暴力にさえ無関心でいる双子の精神状態を、舞台前方に平然と立つ藤井颯太郎が体現する。殴られても立ち上がれる丈夫な身体と暴力にも揺るがない精神を手に入れた双子の姿である。幼い子どもが暴力に晒される悲惨な場面であるはずが、むしろ達成感を持って見ることができるのは、双子の感情に寄り添った見方をしているからかもしれない。兎っ子の母親(大熊隆太郎)や祖母の死への望みを殺人の形でかなえるのも、彼らの誠意と心の強さゆえに見えてくる。

 

舞台上にないものを想像する

 舞台では、双子が人として意識を向けた人物が形象化されている。祖母や女中、兎っ子とその母親はもちろん、司祭や、幼い頃に暮らした父親もパフォーマーたちが演じている。一方で、双子を拷問する兵士や、祖母の死後に訪ねてきた父親は舞台上では演じられない。国境を見回る兵士は靴音だけが響き、国境を越えるための犠牲となる父親に至っては姿どころか声すら出てこない。生き残るためには彼らを意識外に置いているのである。

 平台を叩く音が、見回る兵士の靴音として大きく響く。舞台には誰もいない。いつも繋がっていた双子の身体もそこにはない。観客は登場人物のいない、平台だけがある舞台空間を見る。平台に響く音が双子の心臓の鼓動のようにも聞こえてくる。誰も見えない空間に人影を警戒する意識を張り巡らせ、先に倒れた人間の体を自分の足で踏みつけて安全を確保して国境を越える、そんな自分を想像してみる。この決断は人と同調してはできない。自分で決断しなければならない。進むならば何を踏もうと自分の安全以外のことは、考えない方が良い。残るならば、なおさら考えない方が良い。

 小説では双子は国境を越えるものと留まるものに別れて終わりとなる。舞台では、これまでシンクロしてしか動けなかった二人の身体が、自立した一人の人間に分かれたように感じた。互いを自分のように愛していた双子が、他者として相手を見ることができるようになったのだろうか。それも少し違うような気がする。

 平台を叩く音、爆発音の後、からっぽな舞台。見えなくなる身体に、その背景にある戦争の影響の大きさを感じ、そこで日々生きることを、決断していくことを想像してみる。祖母に、隣家の母に死を贈った双子である。これもまた新しい愛の形なのだろうか。ここに「愛」を想像するのは、戦時下を生きたことのない身には難しい。一緒にいられることが「愛」なのは平時の価値観で、離れることが、分つことが、互いを思いやる愛であり、戦禍を生きのび、戦禍を終わらせる愛の形なのかもしれない。結論は出ない。戦時下に身を置くことなく、それを想像する力を養いたいと想う舞台であった。

(2024年4月14日観劇)