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サファリ・P『悪童日記』
原作=アゴタ・クリストフ『悪童日記』(ハヤカワ文庫)
翻訳=堀茂樹
脚本・演出=山口茜
2024年4月12日(金)~16日(火)/THEATRE E9 KYOTO
撮影=松本成弘

 身体は時に言葉より雄弁に物語る。言葉にならない想いを伝え、言葉にし難い記憶をその身に刻む。劇団サファリ・P第10回公演『悪童日記』は、戦時下に生きることの意味を身体感覚として想像させる。パフォーマーによって身体化された言葉は、記憶をもたない者に対しても、言葉に託されたその身体の記憶を浮かび上がらせる。

 『悪童日記』は、1986年にハンガリー出身の作家アゴタ・クリストフが自身の体験を元に母語でないフランス語で書き、デビュー作ながらベストセラーとなった小説である。戦禍を逃れ祖母の元で暮らすことになった双子の男の子たちが、互いに鍛え合いながら生きることを学び、父親の屍を乗り越えて国境を越える者と留まる者に分かれるまでを描く。

 小説でありながら『悪童日記』は、双子という登場人物の特異性、行為や出来事のみが綴られる文体に加え、架空の物語としながらも第二次世界大戦下を描いていることもあって欧州では頻繁に上演される演目である。2019年のベルリン演劇祭でドイツ語圏の演劇ベスト10に選ばれたシャウシュピールハウス・ドレスデン(Ulrich Rasche演出)や2023年にパリのフェスティバル・ドートンヌに招聘された英国の劇団フォースド・エンタテインメント(Tim Etchells演出、2014年初演)などは記憶に新しい。過去には日本でも1994年に木冬社が清水邦夫脚色で舞台化して紀伊国屋演劇賞を受賞しており、2013年にはハンガリー、ドイツ、オーストリア、フランスの共同製作でヤノーシュ・サース監督による映画化もなされている。

 ロシアのウクライナ侵攻が始まった2022年からは、特に舞台での上演が目立つ。ドイツ語圏の公共劇場だけでもハンブルク・タリア劇場(Alexander Klessinger演出)、シャウシュピール・ケルン(Mina Salehpour演出)、ブランシュバイク州立劇場(Isabel Ostermann演出)、ミュンヘン・フォルクス劇場(Ran Chai Bar-zvi演出)、ウルム劇場(Jessica Sonia Cremer演出)、チュービンゲン州立劇場(Sophia Aurich演出)、ケルン・オランジェリー劇場(tt-Theaterproduktion製作)、シュテンダル・アルトマルク劇場(Johanna Schall演出)、ウィーン・オデオン座(Jacqueline Kornmüller演出)などがある。女性演出家が手掛けることが多く、「脱文明のプロセス」1)Andreas Wilink, Auf dem Trümmerfeld von Ich und Ich, nacht kritik. de, 1. April 2023. として描いたMina Salehpour演出作品は来期もウィーン・ブルク劇場で、人を殺さなければならない「絶望の場所」2)Michael Bartsch, Menetekel der Empfathielosigkeit, nacht kritik. de, 14. April 2024.として描いたJohanna Schall演出作品はシュヴァインフルト劇場での上演が今後も予定されている。このことは、この作品が内包するテーマがいまだにアクチュアルであるだけでなく、生々しい戦禍の場面を突きつけるのではなく戦時下の出来事に思いを馳せるのに、演劇の果たす役割が大きいことを物語っているのではないだろうか。

 サファリ・Pによる『悪童日記』の舞台化は、第2回(2017年)、第5回(2019年)、コソボ公演(2019年)を経て、本作で3バージョン目となる。サファリ・Pの射程も欧州勢と同様、戦争による人心の荒廃の提示とそれへの抵抗にある。だが、欧州の舞台が二人で1つの言説を語る「双子」に焦点化し悲劇的な結末への警告として描くことが多いのに対し、山口は原作小説の「文体」に注目し、作品にこめられた作家の想いを抵抗としての想像力と愛に見る。

 この小説は双子が見聞きした事実、主観を排した「真実」のみを記述した日記として描かれている。前回までの舞台は、双子の行為を中心に作中での出来事を再構成し、双子らの目に世界がどのように映っているのかを、少ないがゆえに印象的な言葉と反復するような身体の動きや空間構成で見せていた3)双子像に注目した第2回公演評については以下を参照。柴田隆子「「文体」を描くこと、形象を描くこと ~サファリ・P『悪童日記』」『artissue』9号、2017年7月。。今回は語られる言葉やエピソード自体は大きく変わっていないにもかかわらず、登場人物としての「双子」の特異性は大きく退き、代わりに原作には言葉としては書かれていないはずの、彼らと他者との関係性やそこでの感情のようなものが前景化されているように見えた。それは演出の山口茜が原作に発見した「新しい愛の形」なのかもしれない。あるいはもっと別の何かかもしれない。そのことを本稿では考えてみたい。

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1. Andreas Wilink, Auf dem Trümmerfeld von Ich und Ich, nacht kritik. de, 1. April 2023.
2. Michael Bartsch, Menetekel der Empfathielosigkeit, nacht kritik. de, 14. April 2024.
3. 双子像に注目した第2回公演評については以下を参照。柴田隆子「「文体」を描くこと、形象を描くこと ~サファリ・P『悪童日記』」『artissue』9号、2017年7月。