闘うセレネ――「マレビト」とは何者か?――金森穣『闘う舞踊団』・Noism0+Noism1『セレネ、あるいはマレビトの歌』/本橋哲也
私たちはともすれば、「公立劇場における専属舞台芸術集団」というと、その経済システムや社会保障といった「支援」の側面から考えがちだが、それは本来、行政と芸術家とが協働して実践する「政策」の要となる人々の連合体として捉えるべきなのではないだろうか? それこそが、市民や国民の税金をもって運営される「公立劇場」の本当の意味なのではなかろうか?
金森は、本当に普遍的な芸術文化の社会的価値を伝えるには、長い時間をかけた社会の芸術的感性を地域に育むことが必要だとして、それを担うことのできる人材の育成を唱導する――
そこで必要になるのが、専門的言説で市民生活と芸術活動をつなぐことのできる人材の育成だ。政治家でも文化官僚でも、アーツカウンシルのような専門機関で働く人でもいい。幼少期から世界水準の劇場文化に触れてきた人材が文化政策にかかわること、その専門人材の育成こそが、この国の劇場文化の未来には必要だ。(同書、67頁)1)この点で最も期待されるのが、2021年に開学した、日本初の公立の舞台芸術専門の大学である兵庫県豊岡市の芸術文化観光職専門職大学だろう。文部科学省傘下の正式の大学でありながら、平田オリザ学長の下で、独自のカリキュラムを行使し、キャンパス内に欧米基準の劇場や稽古場を擁し、劇団「青年団」の本拠地でもあるこの場所が、今後、このような舞台芸術の専門家を次々と輩出し、彼女ら彼らが、日本全国の公立劇場を協働して運営する行政官、芸術家、市民となっていくことが、今後のこの国の劇場文化の未来を支えていくことを期待したい。
このような人材の育成をどのような場所で行うのか、という問いに対して、金森は端的にそれこそが地方の役目であり、利点ではないかと答える。経済や消費の効率だけを考えれば、人口や資産が集中している東京や大阪などの大都市が有利に決まっているが、長い時間とエネルギーをかけて醸成させていく必要がある芸術文化にとっては、地方のほうが有利である、と金森は述べ、アーティストこそが地方を目指すべきだと言うのだ――
日本のアーティストは、もっと地方に出るべきだと思う。芸術活動と経済の距離が近くなった現代、商品としてのアートを売り込みやすく顧客の多い東京という市場を離れがたいのはわかる。しかし東京は市場であって、畑ではない。人をたくさん集めたいイベントをやるには最適だが、周りに翻弄されることなく集中して自らと向き合おうと思えば、地方のほうがずっと有利だ。時間も場所も安く手に入る。日々トレーニングを通して身体と向き合わなくてはならない舞踊にとって、これは重要な点だ。
そして、皆が東京にいるのなら、自分は地方を選ぶ。それこそが、既存の社会権力や暗黙の規範に対して疑義を投げかけ、大衆が流されていく道とは異なる道を選ぶ強さと感受性を持つアーティストの姿勢ではないのか。
また、未開の地で活動を始めるほうが、舞踊団と観客が一緒に成長していけるし、独自の文化を築きやすい。自分たちの活動が誰によって支えられているのかを意識化することでしか、見出せないものがあるからだ。(同書、70-71頁)2)ここで思い起こさざるを得ないのは、金森が「師」と仰ぐ鈴木忠志氏が、東京から利賀へと劇団の拠点を移した際の最大の理由が、この「時間」と「場所」であったということだ。鈴木氏が繰り返し語ることだが、東京では夜の9時か10時になると稽古を続けたくても劇場を追い出される。劇場以外で、稽古をしようとしても都会にそんな場所はない。「偶然性」を旨とする舞台芸術にとって、この時間と場所の制約は致命的である。利賀村であれば、夜中に大きな音を立てて稽古をしていても、迷惑するのは狸か狐ぐらいであって、都会に比べれば比較にならないほど贅沢に場所と時間を使える、と。こうした自前の環境が、結局は舞台芸術の質を高め、劇団としての結束を生み、地域共同体の信頼を育み、東京を経ないで地方から世界へとつながる回路を築く、というのだ。
ここでも、既存の政治的体制に疑問を投げかけ社会変革を目指すことが本来のアーティストの役目であり、「世界水準」とか「普遍性」といった評価も、そのような文化の力学に対する意識があって初めて意味を成すものだ、という金森の確信が伝わってくる。本書の読みどころの一つは、りゅーとぴあという公立劇場において日本で初めての専属舞踊団を立ち上げようとした金森が、既得権益にしがみつく行政と、畑を荒らされたくない地元のバレエ教師と、日本の舞台芸術を仕切っている業界と、いかに闘ってきたかという記録だ。そのような苦闘を支えたのは、彼の日本に劇場文化を根付かせたいという熱望がもちろんあるが、それと同時に、アーティストという舞台芸術の専門家は、メソッドを持つべきであるという信念と実践である。メソッドの重要性について、金森は次のように述べる――
メソッドを確立するということは、集団として共通言語を持つことだ。共通言語としてのメソッドを確立し、そのメソッドに基づいて集団活動をすることによって、集団にとっての質の基準ができる。それは新たに参加するメンバーの評価基準にも、個々の舞踊家の現在の状態を測る物差しにもなる。メソッドの確立とは集団性の確立のことである。 (同書、99頁)
この「メソッドの確立」と「集団性の確立」を同一視する議論を、舞踊だけの話として聞いてはならないだろう。日本の演劇がいまだに伝統芸能と明治以来の輸入ものである新劇との間で彷徨っているとすれば、このメソッドの欠落という点にも注意を向けざるをえない。世界水準をめざす舞台芸術にとって、演出家のドラマトゥルギーと密接に結びついた俳優や舞踊家の訓練のためのメソッドこそは、とくに東洋と西洋の両方の演劇伝統を自身の舞台創造に生かそうとする芸術家にとっての要となる。
このようなメソッドに関する必要性を巡る問題が日本の舞台芸術における芸術家集団内部の問題、いわばミクロ面での課題であるとすれば、より広汎なマクロな社会的文脈における問題が、日本の「劇場」が置かれている現状である。金森は、さまざまな問題を指摘する。第一は、劇場に専門家、とくにスタッフとしての専門家がいないために、舞台監督・照明家・音響家などは大都市から来てもらわなくてはならない。とくに地方の劇場においては、そのような首都圏の人々に頼る仕組みが構造化されてしまっているために、地域住民の税金を使って外部に膨大な費用を支払っている。そのような外部依存は、経済面だけでなく、劇場内部の人々や地方行政の担当者に、自分自身で舞台芸術の質を判断する基準の欠落を必然的に招く。さらにチケット料金が高いこと、劇場に人びとが語り合う場がないこと、といった問題が指摘され、これらすべてはりゅーとぴあだけでなく、日本の多くの公立劇場でも共通する問題だろう。それらの課題に対する金森の答えは、はっきりしている。「劇場文化への信頼」を築くこと、これである――
この悪循環を断ち切るには、舞踊団の質を上げるしかない。月給を払い、時間と場所を確保して舞踊家を鍛える。専属スタッフを雇い、製作体制を充実させる。舞台スタッフに経験を積んでもらい、プロダクションの質を上げる。そのすべてを統括できる劇場体制を構築し、その体制から生み出される質の高い公演を継続することで、劇場文化への信頼を獲得するしかないのだ。
ない文化を一から作るというのは、そういうことなのである。(同書、158頁)
このような信頼の醸成には、地域の市民である一般観客と舞台芸術とを公演だけでなく言論を通じて仲介する試みも必要だ。その例として、Noismでは2011年から、さまざまな分野の専門家を招いて舞台芸術を巡って語り合う「柳都会」という企画を始めている。劇場の社会的役割には、観劇という個人的な体験を他者と共有して、その体験を言語化することにより、自己と他者とを精神的な交流によって結びつけるという社会的な機能が含まれるからだ。舞台芸術に対する批評家の役割とも関わる、こうした実践が日本の劇場文化の創造にもたらす意義は大きい。
本書のクロニクルは、2021年末に新潟市が「りゅーとぴあの新レジデンシャル制度」を開始し、芸術監督の任期が一期5年、最長二期10年となって、専属舞踊団の活動継続問題が収束したところで閉じられる。金森が17年間、新潟市とともに劇場専属舞台芸術集団を文化政策として維持し、地域独自の芸術文化を創造することで、東京を介さずに世界水準の舞台を創るという苦闘は、相当の成果を収めて未来演劇の展望が開けたことになる。もちろん、金森は自身の芸術監督としての任期が満了した後のことも考えて、今でも日夜、劇場で稽古場で事務所で活動していることだろう。本書は、多くの人が公立劇場としてのモデルケースであると考えていた「りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館専属舞踊団Noism」が、いかに金森穣という傑出した舞踊家にして文化政策者の日々の闘いの成果であるのか、そして彼を囲み支援し協働してきた人々の恵みの賜物であるのかをつぶさに明らかにする。この国の「劇場文化の未来のために」に闘い続けている、数は多くはないかもしれないが、舞台芸術を地域と世界とを直結する普遍的な文化の核とするために闘い続けている芸術家・観客・行政官・政治家・批評家にとって、本書がマニフェストでもあり、証言でもあり、そしてなによりも励ましと連帯への誘いであるのも、その故だ。
註
1. | ↑ | この点で最も期待されるのが、2021年に開学した、日本初の公立の舞台芸術専門の大学である兵庫県豊岡市の芸術文化観光職専門職大学だろう。文部科学省傘下の正式の大学でありながら、平田オリザ学長の下で、独自のカリキュラムを行使し、キャンパス内に欧米基準の劇場や稽古場を擁し、劇団「青年団」の本拠地でもあるこの場所が、今後、このような舞台芸術の専門家を次々と輩出し、彼女ら彼らが、日本全国の公立劇場を協働して運営する行政官、芸術家、市民となっていくことが、今後のこの国の劇場文化の未来を支えていくことを期待したい。 |
2. | ↑ | ここで思い起こさざるを得ないのは、金森が「師」と仰ぐ鈴木忠志氏が、東京から利賀へと劇団の拠点を移した際の最大の理由が、この「時間」と「場所」であったということだ。鈴木氏が繰り返し語ることだが、東京では夜の9時か10時になると稽古を続けたくても劇場を追い出される。劇場以外で、稽古をしようとしても都会にそんな場所はない。「偶然性」を旨とする舞台芸術にとって、この時間と場所の制約は致命的である。利賀村であれば、夜中に大きな音を立てて稽古をしていても、迷惑するのは狸か狐ぐらいであって、都会に比べれば比較にならないほど贅沢に場所と時間を使える、と。こうした自前の環境が、結局は舞台芸術の質を高め、劇団としての結束を生み、地域共同体の信頼を育み、東京を経ないで地方から世界へとつながる回路を築く、というのだ。 |