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国際演劇協会(ITI)は3月27日を「ワールド・シアター・デイ(世界演劇デー)」として定め、毎年その前後に開催される記念イベントでは、世界の著名な演劇人がメッセージを発している。2022年オンラインで行われたこのイベントでは、ピーター・セラーズ(米、演出家/フェスティバル・ディレクター)がメッセージを寄せた。
ITIの姉妹団体である国際演劇評論家協会(AICT-IATC)からは、ジェフリー・ジェンキンズ会長がこのイベントに寄せて声明を出した。声明は、ロシア軍のウクライナ侵攻にあたり、同協会ロシア・センターがウクライナ・センターに対して宛てた勇気あるメッセージに端を発している。以下、そのメッセージの日本語訳を掲載する。

国際演劇評論家協会(AICT-IATC) www.aict-iatc.org
2022年3月25日

試練の時に橋を架ける
ジェフリー・エリック・ジェンキンズ

 

 ひと月前、国際演劇評論家協会(AICT-IATC)は、ロシアの協会員たちとともに、主権国家ウクライナへのロシア政府による侵害行為を非難する声明を発表した。IATCは演劇批評と研究に携わる者の集団であり、国際的言論ならびにあらゆる芸術形態の中で最も人間的である演劇の称揚を通して、表現の自由という旗を掲げている。

 AICT-IATCロシア・センターは、甚大な個人への危険をかえりみず、勇敢にもクライナに対する戦争行為を公的に非難した。侵攻終結を訴えた一人の著名なロシア人劇評家は、自宅玄関のドアに「Z」の文字を殴り書きされた。1938年の「水晶の夜」にナチスがユダヤ人におこなった行為を思いおこす者もいる。

 『テアトル』誌編集長のマリナ・ダヴィドヴァ氏は、現在自宅を離れ、ヨーロッパのある場所で安全を確保している。先週、英ガーディアン紙に彼女が語ったところによれば、抗議を表明する者を「裏切り者」「外敵同調者」とみなすという声明をロシア政府が出すなど「一ヶ月前には予想さえしなかった」という。アンドリュー・ロス氏による記事でダヴィドヴァ氏はこう語っている。「かつては、こんな言葉遣いは過激化に対してしか使われなかった。それが今は大統領の口から発せられている。酷い話だ!」[1]

 ここ数週間、私たちはあらゆるウクライナ人の頭上に降り注ぐ恐ろしい虐殺行為を目の当たりにしている。そして無辜の市民の不条理な死に、そして一般市民が安全を求めて市街を駆け抜ける中で子供達がうずくまっている映像に、心を痛めている。

 ケルソン・シアターのアレクサンドル・クニガ芸術監督が3月23日にロシア軍によって拘束されたという報告が、ウクライナ演劇芸術家組合のボクダン・ストルティンスキイ氏からIATCに届いた。ロシア軍は、ウクライナ劇場の他の芸術監督たちの身柄をも探しているという。世界中の指導的演劇人や人道的活動家たちが大きな抗議の声を上げたことで、クニガ氏は一日も経たないうちに無事に釈放された。

 ロシアを戦争犯罪に携わるならず者国家として非難する決議表明を、現在各国政府は用意しているところである。当然ながら、普遍的な共通の大義においてわれわれを結びつけていた絆を取り戻すためにわれわれにできることは限られてくるだろう。その大義とは、演劇を通して人間経験の本質をさらに理解しようとするということだ。サンクト・ペテルブルグですばらしい演劇作品を再び見ることができる日はいつになるだろう。ウクライナの演劇関係者は爆撃、拉致、そして拷問を生きのびられるのだろうか。

 当座しのぎのシェルターで、ディズニーの『アナと冬の女王』の「レット・イット・ゴー」を自国語で歌うウクライナ人少女の姿に感動しない者がいるだろうか。狭苦しくむさ苦しいシェルターで何十人もの避難民に連日囲まれている状況下でこの少女はおずおずと歌い出した。それを誰かがスマートフォンで録画したのだ。シェルターのあちこちで交わされていた人声が徐々に静まっていく中、彼女は変化、復興、そしてわれわれが直面しているあらゆる苦難の克服への可能性を歌ったのである。

 そしてわれわれは自問する。彼女は今どこにいるのだろう。この激動の時流に彼女の未来はあるのだろうか。

 運良く、7歳のアメリア・アミソヴィッチさんはポーランドに避難できた。ポーランドのスタジアムのチャリティ・イベントで彼女はウクライナ国家を歌い、英雄の歓迎を受けた。ハッピーエンドだ。しかしハッピーエンドを迎えられない物語が、これからどれだけ起きるのだろう。

 今日3月27日、ワールド・シアター・デイが世界中で祝われている。AICT-IATCの提携団体である国際演劇協会(ITI)は、例年この日に著名な演劇人や先駆的論者によるメッセージを出している。今年、その役を担った著名なオペラ・演劇演出家のピーター・セラーズは「経験の芸術形態」としての演劇に注目している。

 彼は言う。われわれは多様なメディアからくる絶え間ない情報に晒されている。そのためわれわれは、時間の中にではなく「時間の刃先」に立たされている。「あまりに多くの人びとが刃先に立たされている。あまりに多くの馬鹿げた、あるいは予期せぬ暴力が燃え上がっている。そしてあまりに多くの既存システムが構造的に残酷な状況の存続にあずかっていることがあらわになってきている」

 もし「世界」がなければ、もしグローバル共同体が壊されてしまったら、「ワールド・シアター・デイ」などそもそも必要だろうか。

 今こそ世界中の自由を愛する人々、自由を愛する政府が、表現と芸術の自由が守られる安全な世界を実現を目指して立ち上がるべきだ。そしてピーター・セラーズの警告と、明快きわまる呼びかけに耳を傾けるべきだ。「この仕事は人々がバラバラに行えるものではない。この仕事をおこなうには、一緒でなければならない」

 この世界演劇デーにおいて、世界中の政府、世界中の人々が団結し、主権国家間の平和がもたらされる高みを目指そうではないか。われわれの人間性の本質を安全に探求できる場の実現を目指そうではないか。

 

ジェフリー・エリック・ジェンキンズ 国際演劇評論家協会会長、イリノイ大学演劇学教授、ディカバリー・パートナーズ・インスティテュート(シカゴ)教授会員。

 

原文(英語):Building Bridges in a Time of Trial
翻訳:野田学(AICT-IATC理事、AICT日本センター会員)

 

なお、ロシアによるウクライナ侵攻に関しては、ITI本部ならびにITI日本センターもそれぞれ声明を発表している。

[訳注1] “‘It’s an attack on everyone’: Russian activists under increasing pressure for opposing war on Ukraine,” Guardian, 18 Mar 2022.