大気圏を突き破って「きみ」に届けたい言葉——エリア51 音楽演劇『光かもしれない』/近藤つぐみ
2026年春、2本のSF大作映画が公開された。2021年にアンディ・ウィアーが発表した同名小説に基づく『プロジェクト・ヘイル・メアリー』と、「スター・ウォーズ」シリーズのスピンオフ映画でありドラマ・シリーズの続編に位置づけられる『スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー』である。この二作品に共通するのは、異種族の二人がバディを組むこと、そして互いに異なる知能形態と身体能力をもつ彼らが助け合い、ケアし合うという点だ。さて、世間がにわかにSFづいている最中、スター・ウォーズと相対性理論の影響を公言して上演された演劇作品がエリア51の音楽演劇『光かもしれない』だった。2026年5月20日から24日まで、池袋の地下「スタジオ空洞」でもまた、異種族間の友情を核とする宇宙冒険譚が繰り広げられていたのだ。
1.演技と演奏、フィクションの次元とアクチュアルな次元
まず同作は「音楽演劇」と銘打っており、なおかつ舞台裏といえる空間がほとんどない。観客は演者たち——3人の役者(徐永行、堀春菜、原雄次郎)とエリア51の4人のバンドメンバー(Vo. 鈴木美結、Gt. 神保治暉、Mrb. 中野志保、Ba. 廣戸彰彦)——が円陣を組み、声出しをして上演に臨む様子を目の当たりにする。劇作家でありギターと一部ボーカル、そしてDJを終始務める神保を中心に音のグルーヴが生成され、そのグルーヴに演者が台詞を乗せるようにして物語が始まる。

作・演出・音楽=神保治暉
2026年5月20日(水)~5月24日(日)/スタジオ空洞
撮影=保坂萌
『光かもしれない』の物語は、地球からほとんど排斥されるかたちで宇宙の彼方へ去って行ったアンドロイドの「きみ」の記憶媒体のネジを預かった「ぼく」が、ロボットのY-3PO(以下「Y3」と表記)を伴って「きみ」を探す宇宙の旅に出るところから始まる。かつて演劇スタジオだった「スタジオ空洞」は「ぼく」が「きみ」を匿っていた場所であり、スタジオごと「きみ」を探す宇宙船に改造されるという設定が物語の内と外を繋ぐ。宇宙航海中の会話劇ではSFネタと演劇ネタを交叉させた言葉遊びが笑いを誘う。会話中は廣戸の奏でるベースがグルーヴを保ち、「ぼく」が気落ちするとグルーヴが乱れて船が止まる、ゆえに音楽が必要になるという設定も秀逸だ。


このように同作は、第一に「スタジオ空洞」をフィクションの磁場に巻き込むことによって、第二に音楽のグルーヴ——観客がアクチュアルな次元で身体的に受け取っているもの——について「ぼく」らがフィクションの次元で言及することによって、ふたつの次元を表裏一体にしながら進行する。その構造は上演中の演者とバンドの精神的な支え合いをも可視化しており、この点において「友情」というテーマが物語の外へと拡張される。
2.友情、演劇、信じること
「ぼく」とY3の二人は、不時着したレストラン「宇宙シズラー」で「きみ」と同じ姿をしたアンドロイドのウェイターと出会う。彼女を介したとある手段で彼らは「きみ」に信号を送りながら、シズラーでバイトをする日々が始まる。この間、「ぼく」が「きみ」との再会に対して抱いている不安をY3が「くだらない」という言葉で一蹴したことをめぐって二人は喧嘩をする。ここで「ぼく」が発する「友達が大事にしてるものを一緒に大事にするのって、すっごく大事なことだと思う」1)以下、作中の台詞の引用は劇団より刊行の戯曲に基づく。神保治暉(作・演出)『エリア51の音楽演劇 光かもしれない』(戯曲)、エリア51、2026年。「ちょっとでも同じものを見ようとしようよ。お互い」といった台詞は、「友情」という同作のテーマにおいて想像力や信じる姿勢が鍵を握ることを示唆する。これが同作のタイトルにある「かもしれない」という言葉と呼応する。

近しい他者の思いを想像するというテーマはさらに変奏されていく。この場面に挿入される前作の音楽演劇『あれ、なんかディレイする涙』から引き継がれた楽曲「コリアンダー」の歌詞は、他者の思いを汲むことが嘘へと横滑りするパターンを突きつける。その後、「ぼく」と「きみ」が地球で生活を送っていた頃の回想シーンでは、アンドロイドとしての自己を否定して人間の真似をし続けた「きみ」の苦悩を「ぼく」が想像できていなかった過去が明らかになる。次に演奏される「ひかるがらす」と「通信制限」の二曲は、いずれも言葉遊びが光る歌詞の中に他者と繋がれない孤独を潜ませている。

これらのシークエンスで紡がれた「友情」と「想像し、信じること」というトピックは、少し場面が飛んで「ぼく」とY3による演劇をめぐる会話に見事に回収されたように思う。「ぼく」は唐突に、かつて人類がやっていたという演劇について語り出す。ひとつの台本に各々が見出すのは「違う光」なはずであるにもかかわらず、それを一緒に作り上げるということを彼は不思議がるのだ。この会話では、他者同士が同じものを思い描き、信じるという点で友情と演劇の二項が重ね合わされているといえる。
ここまで、同作がフィクションと現実、友情と演劇をひとまとまりの問題系として提示する手法をみてきた。次に「音楽演劇」の効果を再度検討した後、エンディングにおけるこの問題系の着地点をみていきたい。
註
| 1. | ↑ | 以下、作中の台詞の引用は劇団より刊行の戯曲に基づく。神保治暉(作・演出)『エリア51の音楽演劇 光かもしれない』(戯曲)、エリア51、2026年。 |

