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 後方のやや高いところに日本語と朝鮮語の字幕が表示され、音楽や音響効果の説明も示される。さらに音声ガイドも用意されていた。字幕も音声ガイドもない鑑賞に慣れた一観客としては、字幕を追いながら舞台を観るのはなかなか骨が折れたが、観客が多様性の閾を越えるための努力を共有する演出的な仕掛けとして、大変興味深かった。多言語・多様性への配慮が、単なるアクセシビリティの措置にとどまらず、舞台の一部として組み込まれ、本作の主題である歴史的な痛みの共有と同一の倫理的地平に置かれていた点は、今後の演劇にとって重要な示唆を含むだろう。

撮影=松本和幸

 暗い坑道でうごめく男たちの姿は、三好十郎『胎内』(1949年)を思い出させた。敗戦直後の山奥の防空壕跡に閉じ込められた闇ブローカー、その愛人、復員兵の3人を描く『胎内』は、敗戦直後の日本社会の混乱と戦争の傷跡を浮かび上がらせる。『胎内』では、観客がカタルシスによって敗戦の苦しみから一時的にでも解放されることは意図されていない。観客は自らに投げ返され、思考を引き受ける。

 一方、本作はカタルシスをあえて肯定的に用いていた。終盤、日本人と韓国人のダイバーが舞台中央に降り、海底坑道に取り残された1942年の炭鉱夫に出会うのだ。坑道にうずくまる日本人と韓国人の炭鉱夫を見つけ、柔らかなピアノ曲が流れる中、4人はゆっくりとハグしあう。1942年と2026年が想像上の海底坑道でつながる。まるで夢を見ているようだった。

 暗転後、いまだ183名が海底に眠る事実が字幕で示され、観客は夢から覚める。直後に沸き起こった熱いカーテンコールは、歴史の痛みを共有した時間への客席からの応答に思えた。

 

 58ROUTE主宰のコ・スヒは、本作のモチーフを次のように語っている。

 

──長生炭鉱についてはこの1年ほどで日韓両国でニュースで取り上げられています。コ・スヒさんはいつこの事故について知りましたか?

3 年前にはすでに知っていました。劇団58ROUTE の作品『海女 ヨンシム』を制作する過程で、韓国と日本、そして海にまつわるドキュメンタリーをたくさん観ていたのですが、その時に長生炭鉱の水没事故について初めて知りました。知った瞬間、衝撃を受けました。このような出来事があったという事実そのものに。そして、それがこれほど長い間封印されていたという事実に。その時から、いつかこの物語を必ず舞台にかけなければならないと思っていました。どうすれば演劇で、帰れなかった183 人を帰らせることができるのか──その問いが、ずっと心の中に残っていました。

コ・スヒ、海を越えた対話を語る ──『長生炭鉱 ── 生きたかった』,演劇情報サイト「ステージウェブ」,取材・文=柾木博行)

 

 「どうすれば演劇で、帰れなかった183 人を帰らせることができるのか」。この問いこそ、本作の核となる倫理的なモチーフであろう。1942年と2026年が想像上の海底でつながるラストシーンで、舞台は問いに応えようとしたと感じた。

 

 座・高円寺芸術監督でもある演出のシライケイタは、同じ「ステージウェブ」のインタビューで次のように語っている。

 

日本の公共劇場である「座・高円寺」で、日韓の合同チームが一つの歴史的な痛みに向き合い、作品を作り上げることには大きな意義があると思っています。知らない過去を知り、痛みを分かち合う。決して簡単な道のりではありませんが、僕たち表現者にはそれができると信じています。

シライケイタ『長生炭鉱──生きたかった』を語る──日韓の演劇人が見つめる「沈められた記憶」 ,同上サイト,取材・文=柾木博行)。

 

 次は日本の作家が書き、韓国の演出家が舞台をまとめる構想があるという。作品を作り上げるプロセスそのものが、歴史の忘却に抗う演劇的行為である。歴史的事実を掘り起こして再現するだけでなく、記憶と忘却をめぐる政治力学を明るみに出し、植民地支配の非対称性を創作を通して探究する場として劇場が機能している。

 日韓の表現者が過去と向き合い、対話を重ね、未来に向けて作品を作り続ける試みが、これからも広く受け止められていくことを強く期待したい。