闇から光へ:日韓の過去・現在・未来――劇団温泉ドラゴン×劇団58ROUTE『長生炭鉱-生きたかった』/新野守広

作=キム・ミンジョン
翻訳=石川樹里
演出=シライケイタ(劇団温泉ドラゴン)
2026年6月5日(金)~6月14日(日)/座・高円寺1
撮影=松本和幸
闇に沈んだ歴史を、舞台へ――。
劇団温泉ドラゴンと韓国の劇団58ROUTEによる共同製作『長生炭鉱-生きたかった』は、日韓の表現者が国境を越えて手を携え、歴史的記憶の再構築に挑む試みだった。本作は、1942年の長生炭鉱海底坑道水没事故と、戦後日本の市民団体による記憶の掘り起こしという二つの時間軸を併置し、記憶と想起の力学を舞台上に可視化した。作者キム・ミンジョン、演出シライケイタ、そして58ROUTE主宰のコ・スヒ(『焼肉ドラゴン』の高英順役でも知られている)の信頼関係から生まれた舞台は、カタルシス(感情浄化)を効果的に用いながら、両国が共有する暗い過去への倫理的応答を観客に訴えかけた。
黒を基調とした舞台中央には、海底坑道の坑口を思わせる長方形の開口部が口を開けている。その上方には細長い黒いオブジェが吊られ、右端は机と椅子を備えた小さな足場につながる。中央では1942年の水没事故、右手の足場では戦後の市民団体の活動が演じられ、二つの時間が並走する構成となっている。
開演すると、吊りオブジェの下から佐藤(筑波竜一)が現れ、自身の過去を語る。戦時体制に違和感を覚えて教師を辞め、炭鉱で働くようになったという。いま彼は、日本人3名と朝鮮半島出身者4名の炭鉱夫たちを怒号と木刀で統率する鬼監督だ。
突然、大音響とともに、炭鉱夫たちが舞台中央になだれ込み、海底坑道の水没事故の場面が始まる。朝鮮語と日本語の入り混じる緊迫したやり取りが続き、観客は暗闇の奥へ引き込まれていく。
作品が扱うのは、1942年2月3日に発生した長生炭鉱の海底坑道水没事故である。半島出身者136名を含む183名の炭鉱夫が死亡し、遺骨は今も宇部市沖の海底に眠っている。
戦後、この事故はほとんど顧みられなかったが、1991年に宇部市の市民団体「長生炭鉱の“水非常”を歴史に刻む会」が発足して以降、団体の粘り強い活動により、朝鮮人犠牲者の名簿の発見、遺族会の結成、追悼碑の建立など、忘却に抗う活動が続けられてきた。韓国側遺族からは遺骨回収を望む声が上がったが、日本政府は一貫して遺骨回収に消極的だったため、団体は2024年からクラウドファンディングなどを利用してボランティアによる潜水調査を実施。日韓合同で行われた2025年8月の潜水調査で、遺骨の一部が初めて回収された(残念ながら本年(2026年)4月に起きた不幸な事故をうけて、現在潜水調査は中断している)。
この歴史的事実は、右手の足場で演じられる戦後の物語に結びつく。市民団体の事務所では、森川(清水直子)が活動を支えている。いくつものエピソードが演じられるが、なかでも、発見された名簿を頼りに半島の遺族へ朝鮮語で手紙を送った話は印象に残った。手紙を受け取った韓国人男性(ソ・ドンガプ)が来日する。彼は手紙を読み、父が事故で亡くなった事実を初めて知ったというのだ。団体の活動がなければ、炭鉱事故で亡くなった事実を遺族が知ることはなかったのだ。事故の忘却は、戦時体制の延長線上にある日本社会の沈黙であり、市民団体の活動はその沈黙を破る意義があった。

舞台中央では、水没した坑道に閉じ込められた8人の炭鉱夫の物語が演じられる。4人は半島出身者で、韓国人俳優が演じ、朝鮮語で話す。監督を含む4人の日本人炭鉱夫は日本人俳優が演じ、日本語で話す。両者はたがいの言語を理解しない。半島出身者が笑ったり、怯えたりすると、監督は日本語ができる者を怒鳴りつけ、通訳させる。植民地支配の非対称性が、言語の断絶として示される。
俳優たちの演技には、感情移入せざるを得なかった。半島出身者のおにぎりは石炭で真っ黒に汚れ、日本人は彼らを番号で呼ぶ。日当の支払いに必要な伝票を海水に濡らしてパニックになる半島出身者の姿は、働いた証が紙切れ一枚しかない過酷な状況を突きつける。
支配する側の日本人も疲弊し、その心は歪んでいる。前線で女性や子どもを殺害した過去に苦しむ元日本兵の炭鉱夫は、坑道に閉じ込められたことを天罰とみなす。海底から十分な距離がないまま坑道を掘り進めた無謀さを現場監督の佐藤は嘆くが、この無謀さは破局に向かって進む戦前日本そのものだ。



