「分断」の世界を撃つノンバーバルの可能性――エーシーオー沖縄『野ばらの月~a line~』/濱田元子

台本・演出=藤井ごう
2026年6月19日(金)~23日(火)/ひめゆりピースホール
撮影=坂内太
戦後81年、沖縄は6月23日の「慰霊の日」を南西諸島の防衛力増強が着々と進められている中で迎えた。沖縄県南部の糸満市摩文仁にある平和祈念公園では、熾烈な沖縄戦で家族を亡くした人たちが「平和の礎(いしじ)」に刻まれた名前を水で洗い、手でなぞる姿に胸を打たれたが、体験者の高齢化はますます進む。かたや、その礎の前で習いたての三線を奏でる少女の姿は希望の灯にも映る。礎には今年新たに95人の名前が刻まれ、刻銘者総数は24万2659人となった。が、まだ刻まれていない名前もある。戦争の記憶が遠くなるなか、どう伝え、平和へつなげていくかを考える時、演劇の力を改めて感じずにはいられない。
想像喚起する身体性
毎年、「慰霊の日」を絡めて公演を行っているエーシーオー沖縄。今年は新作のノンバーバル劇『野ばらの月~a line~』(台本・演出=藤井ごう、音楽=寺田英一)の寓話的な世界観が、あちらとこちらを分ける「線」を巡るいさかいが絶えない今を撃った。歌の平野史子、琉球舞踊などの亀甲谷宝、俳優の片平貴緑、人形劇舞台美術家の児玉真理という、それぞれ分野の異なる4人の、声や身体性を生かしたアンサンブルが想像力を喚起する舞台を創り上げたことも見逃せない。
客席を傍観者にしない演出
エーシーオーが本拠とする那覇市安里のひめゆりピースホールは、ひめゆり学徒隊の母校(沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校)跡地に建てられた同窓会館2階にある80席ほどの小空間だ。これほど、この芝居にふさわしい劇場はないだろう。
藤井が見立てやシューベルト作曲の「野ばら」(作詞=ゲーテ、訳詞=近藤朔風)を印象的に使い、さまざまに仕掛けてくる。開演前から客席を巻き込んでけん玉やあやとりで盛り上がり、舞台では4人の俳優がボール蹴りをして無邪気に戯れている。俳優たちが巻貝を耳に当てると三線の音が聞こえ、伊波はづきの歌三線による民謡「とぅばらーま」で踊りが始まる。が、それも一転。爆撃音に続き、破壊音が聞こえたかと思うと、ガマ(自然壕)の中に逃げ込んだかのように、水滴の音が不気味に響く。のどかで平穏な日常が一瞬にして壊される。沖縄戦を想起させる展開だ。
ブラックボードの壁に、俳優たちが線を引き、「分断」「差別」「ミサイル配備」「石油」「外国人排斥」「沖縄戦」、そして「a line」と言った言葉を白墨で次々と書き込んでいく。ボールは月に見立てられ、その月も半分に分かれてしまう。舞台から客席までロープが渡され、分断されるという演出が面白い。ついさっきまで遊びに興じていた観客も、ただの傍観者ではないのだ。客席の奥まで分断するラインを冷ややかに浮かび上がらせる鷲崎淳一郎の照明が秀逸だ。
現在地突く「骨のカチャーシー」
線をはさんで対峙する兵士。一方で、猫や鳥がそのラインを自在に行き来する一コマに、人間だけが線を引くいびつさを浮かび上がらせる。ワイヤーアートの猫や鳥を操る俳優の身体性も引き付ける。時間がたつにつれ、互いを意識する感情が生まれてくる。個人対個人だと対話し、心を通わせることはできるのに、それが軍という組織であったり、国同士になったりすると、途端に難しくなる。そんなシビアな現実を浮かび上がらせる。
音楽の力も強い。「野ばら」のほかシューベルトの弦楽四重奏も印象を残し、2021年上演の『Gouche~フェンスの向こう~』(脚本・演出=藤井ごう、原作=宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」)で使われた芝憲子氏の詩「骨のカチャーシー」(作曲=寺田英一)がここでもパンチを効かせる。
「俺たちはいつまでもここにいる/ここ殺されたと証明するために/やつらが今何をしているかしるために」
戦争の実相、そして辺野古埋め立てに使われようとしている南部土砂の問題など現在地を突いてくる。
線を引くのも人間だが、線をなくすことができるのも人間である。芸能の力が、そして互いを想像することが突破口になるのではないか。そんな問いが通底し、さまざまな感情を刺激する。演劇ならではの豊かな時間があった。




