Print Friendly, PDF & Email

女性活躍のメタシアター―阿国歌舞伎の劇中劇

 しかし、本公演では、この役者たちが舞台をさらい、主役のハムレットを後景化してしまう。というのも、ここから従来のジェンダー・ロールを逆転させた女性の活躍が前面に押し出されてくるのである。

 突如、サンバのリズムに合わせて旅回りの役者たちがやって来る。そして、ハムレットの求めに応じて、座長格の役者が『アイネーアス』の一節を朗ずることになるのだが、通常、名優と呼ばれるベテランの男性俳優が演じるこの見せ場を、本公演では女優が演じる。

 いわゆる「尼寺の場」を挟んで、黙劇と劇中劇の場面になるが、注目すべきは、これらが白塗りの化粧と時代がかった衣装、日本舞踊の所作のような歌舞伎調で演じられるばかりか、舞台に上がる3人の登場人物―ゴンザゴー王、バプティスタ王妃、殺人者である甥、ルシアーナス―が皆、女性によって演じられる点である。上演パンフレットに書かれた演出家ルヴォーの言葉によると、この演出は「歌舞伎の事始め」に寄せたものである。つまり、ルヴォーは、現代では男性のみで演じられる歌舞伎の元祖が、出雲の阿国という女性だったことを意識しているのである。いかにも日本文化に造詣の深いルヴォーの発案であり、歌舞伎役者へのリスペクトや女性へのジェンダー的な視点が感じられる。

 また、劇中劇のメタシアター性に関して言えば、旅役者たちは宮中での御前上演に向けて、舞台上で化粧をしたり、準備体操をしたりと、役者が役を演じるまでの裏側を観客に見せてくれる。

 そして、第三幕第二場で、現代を生きる歌舞伎役者、市川染五郎が劇中劇の歌舞伎役者たちに芝居の心得を説いて聞かせる時、400年の時空を超えて、シェイクスピア劇と歌舞伎、イギリスと日本、過去と現在が交差するという不思議な現象が起こるのである。

 

女性権力者による国家の消滅―燃え上がるピアノ

 後半になっても、女性の活躍は続く。第四幕第四場に登場するノルウェー王の甥、フォーティンブラスは、現代的な戦闘服を着こみ、銃を携えた女性であり、その命に従うノルウェー軍の隊長も女性である。

 次いで、オフィーリアの「狂乱の場」となる。ハムレットに愛を拒絶され、父を殺されて狂気に陥ったオフィーリアは、ピアノの鍵盤を踏みつけてピアノの上に登り、小唄にのせて心情を吐露する。こうして、王妃が優雅に奏で、ハムレットが体当たりしたピアノをオフィーリアが踏みつける。要するに、ピアノは女性性の象徴と言えるであろう。このピアノは劇の最終場面で、さらに大きな役割を果たすことになる。

 野の花々を王、王妃、兄に手渡した後、オフィーリアは溺死し、その情景がさざ波の映像を背景に語られる。そして、その埋葬の場面にハムレットは出くわすことになるのだが、常套的な演出では、オフィーリアを巡ってハムレットとレアティーズの乱闘となり、死体のふりをしたオフィーリア役の女優は墓穴の中で二人の俳優に翻弄される。ところが、本公演では墓穴の中にオフィーリアは存在しない。一連の騒動が終結して一同が退出した後、小雨の降る映像(水のモチーフ)を背景にオフィーリアは群衆の中からそっと現れ、自らの墓穴を覗き込んで去っていく。この埋葬されないオフィーリアは何を表すのであろうか。身勝手な男性の犠牲にならない女性の意思の表明とも捉えられうるだろう。

 いよいよ最終の第五幕第二場となる。ハムレットはクローディアスとレアティーズの策略により、フェンシングの試合で毒の塗られた剣によって傷を受け、瀕死の状態に陥る。そして、自らの死後、デンマークの王位をフォーティンブラスに譲ることをホレイショーに言い残して静かに絶命する。しかし、観客がハムレットの悲劇に涙する間もなく、目の覚めるような激しい音楽と共にフォーティンブラスの率いるノルウェー軍が戦闘態勢で乱入してきて、宮廷人たちに銃口を向ける。ハムレットの亡骸を抱きかかえたホレイショーは、フォーティンブラスに向かって事の次第を語り、「どうかこれらの亡骸を壇上高く安置するようお命じください」(“give order that these bodies / High on a stage be placed to the view”)と要請するが、その望みは叶えられない。フォーティンブラスの「死体は運び出せ」(“Take up the bodies”)の命と共に宮廷人たちは連行される。さらに、フォーティンブラスから「行け、兵士たちに命じて、射殺しろ」(“Go, bid the soldiers shoot”)という非情な言葉が発せられるのと同時にピアノが燃え上がり、舞台裏で機関銃の発射音が鳴り響く。スクリーンには砕け散る大波の映像が映し出され、ピアノが傾き崩れるのであった。

 以上のような結末は何を意味するのであろうか。おそらく、ピアノの炎上は女性性の崩壊を、そして女性のフォーティンブラスによる宮廷人の大量虐殺は、女性の指導者を戴き、戦争をも辞さない構えを見せつつある日本の現実を映し出しているのかもしれない。

 

おわりに

 過去に名だたるスター俳優が演じてきたような悩める王子ハムレットの悲劇を期待していた観客にとって、この『ハムレット』の結末はいささか衝撃的だったようである。しかし、「芝居が目指すのは、昔も今も、いわば自然に向かって鏡をかかげ…時代の実体をくっきりと映し出すことだ」(“the purpose of playing, whose end, both at the first and now was and is  to hold as ’twere the mirror up to nature; to show . . . the very age and body of the time his form and pressure”)とハムレットが言うように、国家間の報復の連鎖や複雑なジェンダー・イシューを含む本作は、世界の政治状況から目を背けがちな日本の観客に、現在『ハムレット』を上演することの意義を突き付けてくるのである。(5月29日17:00観劇)