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ブラッドベリへの反語的応答

 『華氏マイナス320°』という題名はいうまでもなくレイ・ブラッドベリのSF小説『華氏451度』をもじっていた。ブラッドベリの作は、全体主義的な統制社会で書物が害悪とされ、それらを昇火器の炎で焼きつくすディストピア小説だった。ナチス・ドイツの焚書に触発されて書かれた小説は、フランソワ・トリュフォーの映画でも有名だ。これが『華氏マイナス320°』では、超冷凍の技術で遺伝子や受精卵を凍らせるという、熱を冷に転じた偽SFになる。ハーメルンの笛吹き男が青い炎を放つバーナーを重度の天使に向ける場所が「ヤマユリ咲き誇る洞窟」となれば、観客は2018年に相模原市の知的障害者施設で元職員が起こした悲惨な殺傷事件を嫌でも思い起こすだろう。台本では控えめにしか暗示されないものの『華氏マイナス320°』が優生論思想への強烈な抵抗を示すものであることは明らかだった。

 ナチスの全体主義が取り入れた優生論的思想は人類の宿痾として、大戦後に否定されたはずだ。しかし今また人間の欲望と結びつき、科学の驚異的発展ともあいまって息を吹き返し始めたのではないか。若き日の自由奔放な言葉遊びはいま、技巧をこらす知的な韜晦の演劇に姿を変えたけれど、イノセンスに寄りそう野田秀樹にはやはり強烈な怒りがあった。

 

沈黙のもつ演劇的力

 さて、手話である。近年は舞台に手話通訳が出る場面にしばしば出会う。加えて、手話や身体表現だけで演じられる「声のない演劇」も注目されている。聾者(ろうしゃ)にとっての沈黙は腕を動かさないこと。動く骨(手話)とは聾者が声を発すること、声なき声の徴ということになろうか。腕や手指が動き、その場を聴者の沈黙が支配するとき、そのしじまは豊かな言語で満たされているのである。私は2019年に東京芸術劇場が招いたロシア・ノヴォシビルスクのレッドトーチ・シアターの『三人姉妹』(ティモフェイ・クリャービン演出)で、そのことを実感した。手話による上演は私にとって沈黙の世界だったが、なんと豊穣なチェーホフ劇だったか。聴者にとっての沈黙は、聾者にとっては言葉のあふれる世界なのだ。それはものすごい演劇的な力だった。言葉満ちる沈黙の衝撃性を太田省吾の『水の駅』(聴者の演技ながら)で痛感してはいたけれど、いままた手話の演技でそれと出合っている。その意味で『華氏マイナス320°』が愛の詩に託したラストシーンは、ことしの演劇界で忘れることのできない名場面となっただろう。

 古稀にあたる70という年齢は、演劇人に来し方行く末を意識させずにはおかないようだ。今年5月が没後10年にあたる演出家の蜷川幸雄が70歳になる年、エウリピデスの『メディア』に挑んだことを思い出す。むろん代表作『王女メディア』で取り組んだギリシャ悲劇の名作と再び向き合う特別の意味があった。「猥雑なエネルギーを取り戻し、よみがえりたい」と話してくれたものだ。

 昨年12月に70歳になった野田秀樹もまた。


『華氏マイナス320°』の上演は2026年4月10日~5月31日、東京芸術劇場 プレイハウス、6月6~14日、J :COM北九州芸術劇場 大ホール、7月22日~8月2日、新歌舞伎座。7月2~11日にはロンドンのサドラーズ・ウェルズ・シアターでも公演。野田秀樹作・演出・出演。堀尾幸男美術、服部基/北澤真照明、ひびのこづえ衣裳。阿部サダヲ、広瀬すず、深津絵里、大倉孝二、高田聖子、川上友里、橋本さとし、橋爪功ほか出演。