コンセプチュアルなダンスが問うこと――豊田ゆり佳『Organized Play』/宮下寛司
2.コンセプチュアル・ダンスにまつわる議論
豊田の姿勢は、フランスの振付家ジェローム・ベルが「振付家や私が行っていることに鑑みると、振付家という語は時代遅れのように感じます。敢えて言うならば、私はダンスを主題とする振付家です。私はダンスの演劇を創っているのです。」1)Bauer, Una. Jérôme Bel. An Interview. In: Performance Research. 13 (1). 2008. S. 42 – 48. hier, S. 43.と述べたことを思い起こさせる。「演出」という語でベルが目指すのは、ダンスを主題とする戯曲作品を上演することでもなく、インタープレイにダンスが入り込むような演劇作品を作ることでもない。ダンスを演劇化するということであり、これはダンスを演劇的な経験の対象にするということである。この言葉には、自明視されたダンスに対する距離を保とうとする姿勢を読み取ることができる。その距離はなぜ演劇と呼ばれるのか。
演劇は「まるで~かのように見る/聞く」というような言い方に代表されるような対象のとらえかたを創り出す。それは対象の所与として与えられた性質や役割とは異なるような、すなわち、それにとってに本来的ではない捉え方を許すと同時に、本来的でありうる捉え方(見方や聞き方)がそもそもなぜ成立しうるのかもまた思考させられることの経験である。2)ここでいう演劇は上演芸術のジャンルとしての演劇ではなく、演劇性が備わる状況である。以下を参照。Weber, Samuel: Theatricality as medium. New York: Fordham University Press, 2004.ベルはこのような捉え方をダンスに向けるのであり、観客にダンスを経験することの条件を思考させる。その条件は、身体運動という客体があるだけでは成立しない。その運動をダンスへと峻別する文化的・歴史的制約が必要になる。観客はこの制約について多かれ少なかれ自らの理解を確認する必要に迫られる。そしてベルの作品においてまさしく演劇的であるのは、そのようなダンスに対する反省と同時に、目の前の身体運動をなんであれダンス「として」見たくなる自分自身の欲望にも観客は意識的であらざるを得ないことである。
ベルがダンスを演劇化した作業は、同時代のダンサーや振付家たちにおいても散見され、それらの特徴はコンセプチュアル・ダンスと呼ばれた。それはノン・ダンスやアンチ・ダンスよりもはるかにその作業を名指すために正鵠を射るはずであるが、その語に対する懐疑が挙げられることもあれば無理解に基づいて非難されることもあり、ダンサーや研究者間でコンセプチュアルであることの定義を巡る議論が続いた。これらの議論に美学的な観点から修正を行った舞踊学者ゲラルト・ジークムントによれば、コンセプチュアル・アートのような美術領域におけるコンセプトと異なり、ダンスのコンセプトは上演に観客として居合わせるという美的経験に備わると指摘する。3)Siegmund, Gerald: Jérôme Bel. Dance, Theatre, and the Subject. London: Palgrave Macmillan. 2017. S. 65 – 68.それゆえコンセプトは、作品や身体運動を外から説明するテーマではない。また同時にそのような外在的なテクストに対立するような、肉体言語や暗黙知と呼ばれるような知のあり方でもない。そしてコンセプトは、何にもましてダンスそのものについてのコンセプトおよびアイデアである。コンセプチュアルなダンスは、そのダンスでもってダンスについてのコンセプトを示すが、そのコンセプトは観客の経験に対する反省を通じて見出されなければ現れない。すなわちダンスとは何であったのか/何であるのか/何であってほしいのかという捉え方自体が意識されながら、目の前のダンスを捉えなおすのである。この捉えなおしの作業がダンスの演劇化である。演劇化するためにこそ、観客とダンサーが一緒にいる状況としてダンスが上演される。上演という対象はダンスそのものよりも広がりを持つといえるのであり、上演という状況はダンスを捉えなおす場となる。それゆえコンセプトは身体やその運動に外在/内在するという観点において見出されるのではなく、観客の経験に対する反省を契機として現れる。
ただ、ダンスのコンセプトとしてのダンスは、「芸術のための芸術」のように、社会や文化の様々な領域から退くことをめざすわけではない。ダンスの捉えなおしはその正統性を学ぶことではないからだ。何がダンスとしてどのように理解されてきたのかをたどりなおす作業であり、むしろ他の様々な領域との類比あるいはそれらからの峻別も必要になる。豊田がダンス上演を成立させる責任を問いたいのであれば、コンセプチュアル・ダンスの理論は重要な美学的視座を与えるといえるだろう。豊田はこれまで、我々が普段慣れ親しんでいる競技やゲームの形式を振付の枠組みとして用いてきた。サッカー、ダンス・コンペティション、椅子取りゲームなどである。このような枠組みがダンスを問い直す上演を生み出す。豊田におけるコンセプトは、このような枠組みによって現れるのだ。上述した問いにひとまず答えるならば、上演において観客はダンスのコンセプトと向き合っているのである。
註
| 1. | ↑ | Bauer, Una. Jérôme Bel. An Interview. In: Performance Research. 13 (1). 2008. S. 42 – 48. hier, S. 43. |
| 2. | ↑ | ここでいう演劇は上演芸術のジャンルとしての演劇ではなく、演劇性が備わる状況である。以下を参照。Weber, Samuel: Theatricality as medium. New York: Fordham University Press, 2004. |
| 3. | ↑ | Siegmund, Gerald: Jérôme Bel. Dance, Theatre, and the Subject. London: Palgrave Macmillan. 2017. S. 65 – 68. |

