性加害に対峙するということ――ポウジュ Vol.2『Downstate』/米屋尚子
ポウジュは、演出家の稲葉賀恵と翻訳家の一川華の演劇ユニット。「翻訳」という営みを探求する遊び場として2024年に設立したのだという。2025年1月の初公演に次いで、早くも12月に第二回公演をうった。上演したのはアメリカの劇作家ブルース・ノリスの『Downstate』の本邦初演である。
舞台となっているのは、イリノイ州の南部にあるグループホーム。未成年者に対する性加害で有罪判決を受け、刑期を終えた4人の男たちが暮らしている。グループホームの年長者フレッドから、幼少期に性的暴行を受けたアンディが妻のエムを伴ってホームを訪れる――。フライヤーに示されていた情報はここまでだ。性加害を受けた者が、わざわざ加害者に会いにいくってどういうことだろう? そんな疑問を抱いて劇場に向かったのだが、舞台は、答えを出しにくい大きな問いそのものだった。性加害者に対する法による罰や規制は妥当なのか? 虐待の連鎖は無くせるのか? 被害者のリカバリーは如何にして可能なのか? 正義とは? 赦しとは……?

作=ブルース・ノリス、訳=一川華
演出=稲葉賀恵
2025年12月11日(木)~21日(日)/下北沢 駅前劇場
撮影=交泰
最初に、ソファーに座っているアンディ(尾上寛之)が口を開く。隣にはエム(豊田エリー)がいて、彼の言葉が途切れるとすかさず励ましの言葉をかける。彼らの向かい側にはフレッド(大鷹明良)がいる。アンディは40歳前後。これまで自分の人生は順調だと思っていたが、子どもができてから発作を起こすようになり、過去を乗り越えるために、加害者である元ピアノ教師のフレッドに改めて自分に直接罪を認めさせにやってきたことを説明しようとする。しかしエムの携帯電話が鳴ったり、ここの住人のディー(植本純米)やジオ(串田十二夜)が出入りするのに中断され、落ち着いて話すことができない。一方のフレッドは、電動車椅子に座っている老人で、老いゆえの鈍さなのか、達観ゆえの冷静さなのか、アンディの言葉にも狼狽えることなく静かに応対している。手応えのなさと重なる邪魔に、アンディは思い通りの決着がつけられないまま妻と共に立ち去るのだが、グループホームには、次の訪問者、保護観察官のアイヴィー(桑原裕子)がやってきて、4人の男たちが犯した罪と彼らが置かれている状況が少しずつ輪郭を表していく。
アメリカでは、未成年への性犯罪者は性犯罪登録簿に載り、名前と住所が公開されている。足首には外すことのできないGPS発信機がはめられており、24時間、所在の監視が可能になっている。アイヴィーは、グループホームの彼らの立入禁止区域が拡張され、いつも使っているスーパーやバス停が禁止区域内に入ることを告げに来た。近隣に特別支援学校があることを危惧した地域住民の請願のせいだという。ディーやジオは猛反発するが、彼らの罵り合いから、4人の有罪の理由は同じペドフィリアと括ることができないことも分かってくる。ジオは、未成年の少女が偽の身分証で自分を騙したから法に引っかかっただけで、少年に手を出したディーやフレッドなどとは一緒にするなと攻撃的な言葉を連発する。皮肉屋のディーとのやりとりはコミカルだが、暴かれていく性加害を認識していくのはフィクションと分かっていても、あまり気分のよいものではない。
しかしノリスの戯曲は、一枚一枚ベールを剥ぐように、男たちの過去、犯した罪を明かしていき、かつ、4人の男達の今の暮らしぶりを描き出す。行動範囲制限だけでなく、スマホの所持、インターネットの利用は禁止。彼らに向けられる憎悪は、彼らの身の危険と紙一重だった。そして稲葉賀恵の演出は、登場人物ひとりひとりに拡大鏡をかざしていくかのように、彼らの心の動きを細やかに、重層的に浮き上がらせていく。
定期的に彼らの行動をチェックしにくるアイヴィーは、世間話で打ち解けたかと思うと、高圧的に威圧して男たちを黙らせる。物静かなフェリックス(大石将弘)だけを残し、今週の火曜の行動を問い詰めていく場面では、規則に忠実なだけでなく、彼女なりの匙加減を加え、フェリックスが正直に告白した体裁がとれるような提案もする。保護観察官としての責務と、生身の人間たちを相手にする感情のはざまで振幅しているであろうアイヴィーを、桑原が好演している。対するフェリックスも、唯一の味方、姉が末期がんでも会いにいけないと告げられた時の絶望、娘の誕生日にメッセージも送れない哀しさを、大石が言葉少なに演じていて同情を禁じ得ない。だが、性加害の相手が実の娘と分かると、アイヴィーだけでなく、こちらも「何でそんなことした?」と呻きたくなる。

