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通奏低音としてのパレスチナ問題

 演劇祭の終盤には、パレスチナから招聘された『イエス、ダディ』(Bashar Murkus & Khulood Basel, Yes Daddy、ブノワXII劇場、7月24日〜26日)が上演された。3回目のアヴィニョン招聘であるが、その出身国としてパレスチナの呼称が用いられるのは今回がはじめてであったという(2人が拠点としているのはハイファにあるカシャビ劇場Khashabi Theatreである)。おそらくは認知症を患っている高齢男性とエスコートを生業としている若い男性との間の「とりちがえ」(quiproquo)に端を発する不条理劇仕立ての作品となっている。作品に対する観客の惜しみない拍手には、絶望的状況にあるパレスチナの人々への連帯も込められていたように思われる。

 事実、ガザ/パレスチナの人道危機は2025年の演劇祭の通奏低音をなしていた。7月2日、ディレクターのティアゴ・ロドリゲスは声明を発表して、「アヴィニョン演劇祭が開幕しようとするまさにそのとき、イスラエルの極右政権はガザに対する攻撃を続けている」と述べ、人質の即時解放とともに、緊急人道支援へのアクセスと国際法の遵守を伴う即時停戦を求めた。さらに7月12日には、教皇庁前の広場において、パレスチナ人民に連帯し、「大量虐殺の即時停止」を要求する「新アヴィニョン宣言」が、演劇祭の多数の参加アーティスト(ロドリゲスを含む)および連帯する演劇関係者の連名で発表された(30年前の1995年、ユーゴスラヴィア内戦に際して出された「アヴィニョン宣言」に続くものである)。イスラエル・パレスチナ問題に関しては沈黙する文化施設・機関が多い中、遅きに失しているとの批判もあろうが、必要な一歩であったといえるだろう。

 2026年、記念すべき第80回演劇祭の招待言語は韓国語であることが7月21日の記者会見で発表された(共犯アーティストは10月初旬時点でも未発表)。これまで英語、スペイン語、アラビア語と複数国で話される国際言語が選ばれてきたが、(北朝鮮を除けば)もっぱら一国内で用いられる言語が選ばれるのは初めてのことである。どのようなプログラムが組まれるのか、楽しみに待ちたい。

 

アヴィニョン・オフから

 オフで見た作品はわずかであったのだが、その中でもジャナイナ・レイテ『眼球譚』(Janaina Leite, Historia do olhoマニュファクチュール=シャトー、7月5日〜13日)を取り上げたい。ブラジル=フランス・シーズンの一環として、フリンジ・フェスティヴァルである「オフ」に参加し、大きな話題を呼んでいた作品である。ジョルジュ・バタイユによる原作自体、ポルノグラフィと文学、卑俗と崇高の間に位置づけられるような不安(定)で奇妙なものだが、これが主にインターネットポルノを生業としている若きブラジル人セックス・ワーカーたちによって、フィクションとノン・フィクションの間を往還しながら演じられる(セクシュアリティが多様化した現代ならではだが、出演者には異性愛者だけでなく、同性愛者やトランスジェンダー、ノン・バイナリーも含まれる)。

 フェラチオや挿入性交、射精はやっている「ふり」をするだけだが、性器を丸見えにした状態から放尿したり、観客から参加を募って女性パフォーマーに対してフィストファックをさせたり、全身にタトゥーが入った男性を(局所麻酔を施した上で)両肩に埋め込まれたフックで宙吊りにしたりするなど、極限的な身体行為も含まれる。剥き出しのセックスは多くとも、そこに奥ゆかしいエロスや哲学的奥行きは感じられないとしても、その一方で、劇場で何を見せることができる/できないのか、その境界線を問い直す、稀有な作品であったことは間違いない。