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 アルゼンチンといえばタンゴを想像するのが自然であろうが、首都のブエノスアイレスは舞台芸術も非常に盛んな都市である。国家として独立後、国民的演劇が誕生するきっかけとなったのは19世紀末以降ヨーロッパ移民によってもたらされたサイネーテと呼ばれるスペインの一幕物の風俗劇で、アルゼンチン生まれのサイネーテが産声をあげると、そこから別の演劇ジャンルが派生していき、20世紀初頭には演劇の「黄金時代」を迎えた。
 しかし、現代演劇の転機となったのは、国家再編成プロセスとよばれた最後の軍事独裁政権 (1976-1983) であろう。1981年に起こったテアトロ・アビエルト(オープン・シアターの意)という反政権派の文化運動を発端に、民政移行期には、自主公演をおこなう様々な演劇グループが発足するようになり、身体や身振りが再構築されたパフォーマンスの上演が台頭してくる。さらには、グロバリゼーションによる均質化が進むにつれ、アルゼンチンでは「おのおのおかしな奴が自分のテーマ」で創作することが強いられ、個の強く、繰り返しが不可能で特異な作品が生まれるようになる。つまり、国民的演劇は分解され、反全体化し多様化した規範のない演劇の時代が到来したのである。しかし、独裁政権による歴史的亀裂は深く、様々なアプローチから歴史的恐怖の記憶が演劇をとおして現在まで語られ続けている。記憶回復のプロセスのなかで生まれてきたのはコミュニティー・シアターである。2001年の金融危機以降には団体数も増え、市民による市民のための演劇として、自らのアイデンティティーの構築をめぐって活気ある活動が続いているようだ。
 首都のブエノスアイレスではコリエンテス通りを中心に商業演劇が上演される劇場や公共劇場などが軒を連ねるほか、市内には数多くの小劇場が点在している。小劇場では採算が取れるよう、決められた曜日に異なる複数の団体の上演が行われるのがほとんどである。各団体はそれを劇場との契約が終了するまで毎週繰り返す。よって照明や舞台は極めてシンプルでなければならないという制限が課せられ、演出家を悩ませるという。その一方でこのような上演形態のありかたは、団体の多さと観客の需要の高さを物語っている。夜0時以降に開演する舞台の観劇にはさすがに躊躇してしまった私であるが、機会があれば勇気を出して一度は試してみたい。
 最後に、アルゼンチン唯一の国立劇場であるセルバンテス劇場について。20世紀前半、あるスペインの演劇人兼実業家によって設立され、現在3つの劇場で構成されている。最も大きいのはマリア・ゲレーロ大劇場で、当時のスペイン貴族の趣向が施された860人収容の風格あるイタリア式劇場である。平土間の椅子は長時間座っているには多少の忍耐力を要するが、四階まであるボックス席には圧倒された。昨年から芸術監督に就任したアレハンドロ・タンタニアン氏によると、市民と劇場をつなぐ様々な取り組みがされており、昨年は若い観客層の増加、国際製作や海外巡演も実現し、劇場の修復も進んだ。プログラムの多様性を求めるだけでなく、国内の演劇製作活動の活発化を図るため、毎年次年度の新作演目は公募により決定される。唯一の国立劇場として今後どのような展開をみせるのか、どのような作品が誕生するのか、目が離せない。

 

 『死さえなけりゃ全て丸くおさまったのに(Todo tendría sentido si no existiera la muerte)』(マリアーノ・テンコーニ=ブランコ作・演出)

2018年3月17日(土)ブエノスアイレス大学付属ロハス文化センター(ブエノスアイレス、アルゼンチン)にて観劇。

Mariano Tenconi Blanco『死さえなけりゃ全て丸くおさまったのに (Todo tendría sentido si no existiera la muerte) 』 撮影=Ariel Feldman

 若手劇作家テンコーニの力作。アルモドバルの映画的色彩が放つ人間の尊厳が描かれた作品。体調不良が続く田舎のしがない女性教師マリアは精密検査を受けると、不治の病を患い余命数ヶ月だと宣告されてしまう。自分の死をなかなか受け入れられないマリアであったが、死ぬ前にしておきたいのは自作自演のポルノ映画の製作だと妹のノーラとレンタルビデオ店の店員で友人のリリアナに告げ、彼女たちの協力を求める。相手役はアメリカで活躍してきたアルゼンチンのポルノ男優ジーノ・ポテンテ。娘が学校に行っている合間を縫って自宅で撮影を始める。カメラを回すのはリリアナ。舞台上で再現されるのは、マリアに駄目出しを何度もされながらのノーラとジーノのセックスシーン、そしてマリア自身とジーノのさらに濃厚なセックスシーンの撮影現場である。撮影は無事終了するが、マリアの病状は悪化するばかり。ようやく編集作業の終わった映画をリリアナが持ってくると、皆でマリアの症状がほとんどなかった撮影当時を思い出しながらそれを鑑賞する。感無量となるマリアは、見終わった後、眠るようにしてこの世を去るのだった。
 舞台設定は80年代。当時のファッションスタイル、音楽、映画、VHSビデオテープといった一昔前のものは懐かしくもあり新鮮でもある。根底に重く流れる死のテーマをかき消す役割を担っていたのは舞台のポップ感の軽さと、マルハ・ブスタマンテが演じるレンタルビデオ屋のリリアナの強烈な存在感であろう。マリアの家に入り込むやいなや、リリアナはその巨体で踊りまくり挙げ句の果てにコカインでテンションを上げる。振る舞いはがさつで言葉遣いも荒い。思ったことをすぐにズバズバと言い、やりたいことはし放題。しかしマリアの看病も快く引き受けるリリアナは家族以上に彼女に信頼されるようになる。
 いかにもB級仕立てでアマチュアなポルノ映画撮影現場の場面でのグロテスクな彼らの演技が光り生命力に満ち溢れているのは、艶かしさと滑稽さの塩梅を丁寧に調整したテンコーニの演出の技であり、さらには一般的に女性が蔑ろにされてきた部分にスポットが当てられ、彼女たちに主導権を握らせることに成功しているからだ。ポルノ映画は通常男性が主体で女性は客体として描かれることが多いが、マリアの求めるのは「男女共同参画的」で女性が好むポルノ映画である。マリアが執筆したシナリオの台詞からも、女性役がイニシアチブをとっていることは明らかだ。実生活で主体性のある女性として生きることのできなかったマリアは、低俗なポルノ映画といったフィクションの枠組みの中でようやくそれを実現させるのだった。もう一つスポットが当てられていたのは中絶というテーマであった。ほんの好奇心からマリアの娘ギジェルミーナはジーノの子を妊娠してしまう。十代の彼女は子供を産むことなど望んでいない。妊娠、そして中絶を望んでいることを母マリアに告白するギジェルミーナは、母の承諾をえて、自分の身体については自分で決断するという当然のことを実行するのだ。

Mariano Tenconi Blanco『死さえなけりゃ全て丸くおさまったのに (Todo tendría sentido si no existiera la muerte) 』 撮影=Ariel Feldman

 田舎っぽく色気のないマリアが艶かしいポルノ女優に変身し最期には病魔との苦しい戦いに耐え忍ぶ姿を演じるロレナ・ベガ。自分の死すべき運命に躍らされる姿が見事で観客の心を揺さぶった。対照的にアンドレア・ヌッセンバウム扮する色気はあるが男にとって都合のいい女である妹ノーラはまさに男性からみた女性性の具現化で、その愛嬌のある姿は舞台できらめいていた。
 いかに男性はマッチョでありたいと思うのか、いかに女性が自らの願望や不満を自分のうちに閉じ込めてしまっているのか。私たちが普段語ろうとはしない性的願望そして死を敢えて表に出し、死が間近な人間をそれまでのしがらみから解放させ、さらには彼女の死への旅を家族や友人に直面させることで、劇作家テンコーニは真の人間性、つまり、全く利害関係のない状況下で他者を受け入れるという他者に対する振る舞いと、自分自身の存在価値を認めるという意味でのそれに迫ろうとしている。ジェットコースターのように突き進むストーリー展開の本作品は三時間の大作であるが、笑いと涙の連続で観客を飽きさせない舞台に仕上がっている。赤裸々な言葉遣いからくる生々しさや爆笑の嵐はリズムの多様性をうみ、予告された死へと向かう旅のなかでの何気ない日常が優しくきらめいていた。転換が毎回暗転であったのは、当時の映画等からヒントを得たのであろうが、集中を途切らせるということで気になった点であった。